武道の精神に「礼に始まり礼に終わる」という言葉が御座いますが、聖天様に対しましては、「御礼に始まり御礼に終わる」と言えます。
皆様は、聖天様から御縁を授かり、聖天様の名前を知った時に、最初に行ったのは祈願ですか?それとも御礼ですか?
おそらくですが、殆どの人が御礼にあらず、祈願ではないかと存じます。
もし、この記事で初めて聖天様を知り、初めての参拝に行かれるという人が居ましたら、先ずは聖天様に祈願よりも御礼を申し上げて下さい。
聖天様は人を選ぶ神様でありますが故に、聖天様から御縁を授かれぬ人間は、聖天様の名前すら知ること無く現世を終えます。
この世の殆どの人間が、聖天様を知ることは無いが故に、聖天の法と出逢えた人間は、その奇蹟に歓喜すべき出来事なので御座います。
聖天様から選ばれた、聖天様から御縁を授かった、聖天様の名前を知った、聖天様を参拝することが出来た、これ全て喜び感謝であり、聖天様へ御礼すべきことで御座います。
先ずは聖天様との御縁に喜び感謝し御礼した後に、聖天様へ祈願されて下さい。
その後も同じく、重んじるは祈願より御礼です。
聖天様に祈願し願い叶えば勿論ですが、仮に願い叶う前の小さなご利益であったとしても、その御礼は怠らぬことです。
願い叶わぬ人に多く見られる特徴の一つとして、祈願は一生懸命に行うも、御礼を怠ります。
ご祈祷にしても、祈願は7日間以上で行うのに、御礼は1日だけというような人も多く居ます。
御礼は全く行わないという人も多いので、1日間でも行う方が良いですが、御礼を重んじていないことは誰からみても明らかです。
これは聖天様や他の神仏様に限らず、人間同士でも同じで御座います。
御礼を怠る人に対しては、次の願いを聞いてあげようと思いませんが、御礼を重んじ怠らない人には、次もまた何かしてあげようと思うは普通のことであり常であると言えます。
聖天様からしても、御礼を怠り祈願ばかりする人間の祈願より、御礼を重んじ怠らず行う人間の祈願の方を、叶えてやろうと思われることは、普通であると存じます。
この「御礼に始まり御礼に終わる」こと、願い叶う秘訣であると存じます。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。