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恋愛に付いて

愛染明王様(瑞鳳天祥様)僧侶様
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執筆者:瑞鳳天祥

今日は、恋愛に付いてもう少し講釈して見ましょう

恋愛とは、実に不安定で矛盾したものかも知れません

人が恋愛をするのは、本能的な種の保存の他に孤独や心の寒さを癒す為でも御座います。

しかし心がきちんと自立して孤独感や寒さを受け入れる事が出来なければ素敵な恋愛は、出来ないもので御座います。

以前にもお話致しましたが、きちんと自立出来て居ないと恋愛では、無く単なる依存と成るからですね

確かに人は、孤独等の心の隙間を埋める為に結び付く事も多々有るものですがそのような場合は、以外と長続きしなかったり関係がこじれる可能性が高いのです

然し、自立された人の恋愛は、微妙なバランスを保ちつつ適度に甘えたり甘えさせたり丁度良い距離を常に保つもので御座います。

要するに恋愛とは、夫婦生活の予行演習のようなもので決して依存する訳では、無いのです。

以外と恋愛に於いて失敗したり長続きしなかったり裏切られるのは、相手の性格や気質も有るのです御座いますが以外な所では、一方的もしくは、お互いに依存関係に有る事(共依存)も要因の一つなのです。

例えば相手に依存して其の人に縋り付いたままでは、何れは、相手は、負担に感じたり歪みが生じ何れは、終焉の原因に成りますね

然しきちんと自立した人は、その部分を弁えて居りますから丁度良く甘えて満足致します。

例えるなら蝶は、華を傷める事無く蜜を吸い共存しますが愚かな人は、その華を根刮ぎむしり枯らしてしまう様なものです。

要するに素敵な恋は、依存では、無く共存が肝要なので御座います。

謂わば依存は、お互いを堕落させますがお互いに自立して居れば葛藤の中でもお互いに助け成長致します。

ですから以前にもお話し致しましたが適度な距離を保ちつつお互いに依存しないように自らも内面を研く事が素敵な恋愛をする為の一つの方法なので御座います。

此処で一つ喩え話を致しますが…。

有る家に棲み付いて居る鼠のお話で御座います。

有る時一匹の鼠が棲み付く家で一羽の鳩が飼われる事と成ります。

その鼠は、その鳩の語る話から外の世界を知るように為ります。

鳩の話から語られる広い空や広大に拡がる大地、青く澄みきった海の話・・・

則ち自分の知らない自由な世界を知る事と成ります。

やがてその鼠は、その鳩に想いを寄せるように成り献身的に尽します。

刻が経つにつれ尽す事の極みは、想いを寄せる鳩を外へ放つ事に気付く事に成ります。

然し、鳩を逃すと云う事は、自分の元から手放す事を意味するので御座いますが謂わば其の鼠は、鳩を逃す手助けをするつまり自分に取って大切な存在で有る鳩を手放そうと努力をする訳で御座います。

しかし同時に鼠は、手放す行為に依りもう一つ別の大切なものを学び得る事に成ります。

則ち本当に愛する心を知り体験する事に至ったと云うお話なので御座いますが

さて此のお話は、何を意味するのでしょうか?

此処からが本題なのですが要するに過ぎ去ったものを追い掛ける事を止め自分の心の籠を開け放つ事に依り更に大きな愛を知る事と成るのです。

飛び去った鳥を引き戻す事は、実に困難で御座います。

然しその扉を閉めては、成らず開け放ったままにする事が肝要で御座います。

何故なら其の場所に舞い戻る可能性も有りますし又別の鳥が訪れる可能性も有るので御座います。

然し、扉が開いて居れば喩え立ち寄ったとしても再び旅立ち戻らないかも知れません

其の鳥達は、自身が自由に翔べる事に気付くからで有りますし又限られた狭い愛では、無く広い愛の世界を知るように成るからですし何事も縁で御座います。

故に一人の人間に限られその相手との世界に閉じ込められられた愛や心は、自由を喪い軈て枯れ果ててしまいますし以前お話した通り依存から其の関係が破綻した際、憎悪や憎しみの気持ちへと変化致します。

更に其の愛と謂う名の渇愛は、刻と共に変化し何時の間にか依存や愛の無い執着心に移行する可能性も秘めて居ります。

然し多くの人を愛する事に依り愛は、大きく育ち心を開け放つ事に依り様々な温もりや愛に触れる事が出来又、自由な世界を知る事が出来ると思います。

そして、其の心が一人の相手に注がれる時に渇愛に変化する事無く深い愛と温もりで相手を包む事が出来るのでは、無いでしょうか

謂わば、人の記憶とは、良くも悪くも何かしらの拘わりに因って成されるもので其の拘わりから離れる事が則ち忘れる事は、以前お話した通りで御座います。

要するに執着しない事、則ち手放すと云う事と成りますがこれは、恋愛に於ても同じ事が言えるのでは、無いでしょうか?

例えば恋愛時の心理の基本は、則ち愛着(自分に取って利益をもたらすものに執着する事)に有りますね

愛と恋の違いは、以前お話した通りですがそのお話に付随しますが恋に落ちると言う事は、その相手の魅力(容姿、性格、価値観等)に対して惹かれ相手に対して思慕の情を抱く事から恋愛感情へと変化する訳です。

又、付き合いに依って相手の存在が自分の中に取り入れられ自我が拡大するように自分と相手の境界が曖昧と成り一体感が生まれます。

そこで愛着心が生まれるのですがその愛着心が「相手が居ない世界は、考えられ無い」と成るのですが

そこで勘違いが起きて来るのですが愛着心(依存心)や渇愛が強く成るにつれてそれが愛情と錯覚が起きるのです。

此が時として相手を束縛したり自分を縛る原因と成りますが無論、その愛着心が相手を愛する事(受容と調和、理解、責任等)や関係を育み愛の関係に発展もしますが逆に愛の冷めた後に相手又は、相手からの利益や地位、経済力に愛着心が残る場合も否定出来ません則ち愛着心の繋がりのみの関係が愛と錯覚する場合が有るのです。

要するに過去に拘わると云う事は、その事に執着が有ると云う事で御座います。

愛とは、則ち相手に愛着するものでも相手を自分に愛着させる事では、無いのです。

要するに相手との関係に於て自我の境界線を曖昧にするのでは、無くむしろその境界線を明確にする事が肝要なのです。

則ち相手を自分と分離し別々の個人としての認識が必要で其の確立された個人の人格が自分の自由な選択肢に基づき相手と関わりその立場や価値観その他諸々を理解して調和する事が何より肝要な事なので御座います。

天祥 九拝

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