聖夫婦ブログ
どん底の人間は這い上がり、頂点の人間が奈落の底へ落ちる。その理由は多々あれど、自業自得とも言える、意識的な理由を書き記したいと存じます。
もちろん、どん底の人間が全て這い上がるわけでは御座いませんし、頂点の人間が全て奈落の底へ落ちるわけでも御座いません。どちらかと言えば、どん底の少数の人間が這い上がり、頂点の多数の人間が奈落の底へ落ちるように思います。
どん底から這い上がる人間
どん底から這い上がる人間は、「溺れる者は藁をも掴む」という言葉の如く、とにかく必死です。その必死さから、少しでも可能性があることは、何でも全力で取り組みますし、そこにあるのは必ず這い上がるという堅い決心と希望だけです。
もう後がない崖っぷちであるが故に、何もしなければ落ちるのみ。だから少しでも可能性があれば、その可能性を少しも疑わず、一生懸命にやり遂げます。
また、どん底から這い上がる人間は、最後の最後まで絶対に諦めたりしませんし、とても素直で謙虚です。天の導きを素直に聞き入れ建設的に受け入れますし、良い助言に対しても可能性を感じたら実行します。希望とも言える建設的な意識と行動から奇跡が生まれ、どん底から這い上がることが出来るのです。
奇跡とは、常に崖っぷちで起こるものであり、崖っぷちで起こるからこそ奇跡と言うのです。
頂点から奈落の底へ落ちる人間
頂点から奈落の底へ落ちる人間には、少なからず「驕り高ぶる」心と言いますか意識が御座います。どん底にいる時は、素直に謙虚に必死に可能性を追いかけますが、頂点に登れば登るほど油断し、驕り高ぶる心が芽生え、素直さや謙虚さをも失います。
まだ自分自身で自分を見つめ、驕り高ぶる心に気づけば良いのですが、奈落の底へ落ちる人間は気付きません。この驕り高ぶる心による因果応報は、避けることが出来ません。
いつまでも頂点に君臨する人間は、最も恐れるべきことは、自らの「驕り高ぶる」心であることを知っています。
どん底から天に聖天様に救ってもらった人間も、いざ自分が頂点に登れば、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」が如く、あたかも自分の力で這い上がったかのように過信し、結果的に禍を招いて、奈落の底へと落ちて行くのです。
禍は、忘れた頃にやって来ます。そして気が付いた時は既に遅しであり自業自得に御座います。
更には、どん底から聖天様に救われるも、驕り高ぶる意識となれば、聖天様から見離されます。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。