何もしていない時間が、なぜか怖いあなたへ
少し体を休めているだけなのに、心のどこかがざわつく。「こんなことをしている場合ではない」「もっとやるべきことがあるのに」。せっかくの休日も、頭の隅で自分を責める声が鳴り続けて、心から休めた気がしない。気がつけば、休むことにまで罪悪感を覚えている。
私たち聖夫婦は、そんなあなたに、まず一つだけお伝えしたいのです。休むことは、怠けることではありません。あなたが休むことに罪悪感を覚えてしまうのには、理由があるのです。
休めないのは、あなたが真面目に生きてきた証
休むことに罪悪感を覚える人は、たいてい、これまで人一倍がんばってきた人です。「役に立たなければ」「頑張り続けなければ」という思いを、長い時間かけて自分に課してきたのです。だからこそ、手を止めた瞬間に、まるで自分の価値がなくなってしまうかのような不安に襲われる。
けれど、考えてみてください。あなたの価値は、あなたが何かをしているときにだけ生まれるものなのでしょうか。何もしていないあなたには、価値がないのでしょうか。そんなことはありません。あなたの価値は、あなたが「する」ことではなく、あなたが「いる」ことそのものにあるのです。
聖天様は、休むことを咎めない
私たちはいつのまにか、「休む=悪いこと」という物差しを心に持ってしまいます。けれど、大きな神様である聖天様は、そのように人を働きだけで測る、ということをなさいません。
かつて私たちがこの罪悪感について祈っておりました折、聖天様はこう仰いました。
「弓も、張りっぱなしでは折れてしまうのじゃ。緩めるときがあるからこそ、いざというときに矢を放てる。休むことは怠けではない。次に立ち上がるための、大切な支度なのじゃぞ」
張りつめた弓は、いつか折れます。休むことは、あなたが長く歩き続けるために、どうしても必要な支度なのだ――聖天様はそう教えてくださいます。
休みは「サボり」ではなく「準備」
もしあなたが、どうしても「ただ休む」ことに罪悪感を覚えるなら、休みの意味を少しだけ捉え直してみてください。休むことは、何もしないことではありません。それは、明日また誰かのために動くための、大切な充電の時間です。
あなたが倒れてしまったら、あなたが支えている人たちも困ってしまいます。あなたが休むことは、めぐりめぐって、あなたの大切な人たちを守ることにもつながっているのです。だから、どうか安心して休んでください。
今日からできる、小さな一歩
今日、ほんの十分でいいので、「何の役にも立たない時間」を、あえて自分に許してあげてください。温かいお茶を一杯ゆっくり飲む。窓の外の空をぼんやり眺める。それだけでいいのです。
そのとき、罪悪感が湧いてきたら、心の中でこう唱えてみてください。「これは、明日のための支度だ」と。休みを罪ではなく準備だと捉え直す。この小さな練習を重ねるうちに、あなたは少しずつ、自分に休息を許せるようになっていきます。
締めに
あなたは、もう十分すぎるほど頑張ってきました。どうか、今日くらいは自分に「休んでいいよ」と言ってあげてください。何もしていないあなたも、そこにいるだけで、確かに尊い存在です。私たち聖夫婦は、あなたがゆっくり息をつける時間を、心から願っています。
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