名前を呼ばれるだけで、胸が縮む。そんな日々を過ごしていませんか
私たち聖夫婦のもとには、働く場での苦しさについて、数多くのお悩みが寄せられます。なかでも切実なのが、失敗が続くうちに、呼ばれるだけで身がすくむようになってしまったというお声です。
たとえば、ある二十代の相談者様は、自分の名前が呼ばれた瞬間に、また何か至らなかったのだろうかと胸が冷える、周りは同じことを軽々とこなしているように見えるのに、自分だけがいつまでも追いつけない、と打ち明けてくださいました。眠る前にその日のやり取りを何度も思い返し、朝が来るのが怖くなる。そんな時期を過ごしている方は、決して少なくないのです。
もしあなたが今、同じ重さを抱えているのなら、まずお伝えしたいことがあります。名前を呼ばれて身構えてしまうのは、あなたが臆病だからではありません。それは、うまくやりたいという気持ちを手放していない人にだけ起こることです。
比べる相手は、いつも「うまくいっている場面」だけです
周りが楽々とこなしているように見えるのは、あなたが見ているのが、その方たちの仕上がった場面だけだからです。手戻りも、教わった回数も、こっそり練習した時間も、外からは見えません。
一方で、あなたが自分について知っているのは、迷った時間も、間違えた瞬間も、すべて含めた全部です。仕上がりと全部を並べて比べれば、どうしたって自分のほうが劣って見えます。この比べ方を続けている限り、心は削れる一方です。
そしてもうひとつ厄介なのは、不安そのものが力を奪うことです。責められるかもしれないと構えていると、確認が遅れ、聞きたいことが聞けなくなり、結果として取りこぼしが増える。すると「やはり自分は駄目だ」と思い込みが強まっていく。あなたの能力の話ではなく、この輪の中に入ってしまっているだけかもしれません。
聖天様のお言葉
「そなた、名を呼ばれるたびに身を縮めておるのう。よう踏ん張っておる。じゃがな、そなたは他人の仕上がりと、おのれの途中とを並べて比べておるぞ。それでは誰であろうと沈む。比べるならば、昨日のそなたと、今日のそなたじゃ。歩幅が小そうても、進んでおれば道は続いておる」
昨日の自分と比べるという物差しは、地味に思えるかもしれません。けれど、それだけが、あなたを削らずに前へ進ませてくれる物差しです。
一人で抱えないための、小さな一歩
気力を振り絞るのではなく、心の消耗を減らす工夫から始めてみてください。
その日「できたこと」を一行だけ書き残す
覚え書きの端でも構いません。今日できたことを、たった一行。前より早く終わった、聞きたいことを一つ聞けた、指摘を直せた。どんなに小さくても構いません。
これは自分を慰めるためではありません。人は放っておくと、うまくいかなかったことだけを覚えています。意識して残しておかないと、自分の歩幅が見えなくなってしまうのです。
分からないことを、早い段階で一つだけ尋ねる
聞くのが怖いのは、できない人だと思われたくないからでしょう。けれど、遅れて分かる取りこぼしのほうが、周りにとっても負担が大きくなります。
すべてを聞く必要はありません。今日ひとつだけ、早い段階で確かめる。それだけで、抱えたまま眠れなくなる夜が、少しずつ減っていきます。
それでも朝が来るのが怖いときには
眠れない日が続く、食欲が落ちている、休みの日も気持ちが晴れない。そうした状態が続いているのであれば、それは気力の問題ではなく、心身が疲れきっているしるしかもしれません。
その場合は我慢を重ねず、専門の窓口に相談なさってください。こころの健康を扱う医療機関など、頼れる場所があります。聖天様への祈りは、そうした専門的な支援に取って代わるものではありません。心を支え、前を向く力を取り戻すための助けとして、専門家への相談とともに歩んでいただくものだと、私たちは考えております。
聖天様は、他の諸仏諸神に願っても叶わなかった願いさえ聞き届けてくださる、最後の砦とも称される神様です。誰にも見えないところで踏ん張ってきたあなたの日々を、聖天様は静かにご覧になっておられます。
今日という一日を越えたあなたに、心が軽くなる一滴が届きますように。歩幅の小ささは、止まっていることとは違います。
聖天様に願いを託したい方へ
もし、聖天様に直接お願いごとをお伝えしたいとお思いでしたら、私たち聖夫婦が心を込めて祈祷を承っております。仕事の安定と心の平穏を願う祈祷は、張りつめた毎日をそっとゆるめるものと言われています。ご縁があればで結構です。よろしければ各種御祈祷のご案内をご覧ください。無理のない範囲で、あなたの心が少しでも軽くなることを願っております。
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