よかれと思ってしたことが、なぜか怒りになって返ってくる
私たち聖夫婦のもとには、介護をしておられる方から、深いお悩みが寄せられます。なかでも心が痛むのが、精一杯尽くしているのに、その手が届かないという行き場のない疲れです。
たとえば、ある四十代の相談者様は、良かれと思って先回りしたことで急に声を荒らげられ、何がいけなかったのかも分からないまま謝る日が続いていると打ち明けてくださいました。もう手を引きたいと思う夜がある。けれど自分が抜ければ流れが途切れてしまう。そう思うと言い出せない。そんな板挟みにおられる方は、決して少なくないのです。
もしあなたが今、同じ重さを抱えているのなら、まずお伝えしたいことがあります。やめたいと思ったことは、薄情の証ではありません。それは、限界を超えて尽くしてきた人にしか浮かばない考えです。
疲れの正体は、労働の量だけではありません
体の疲れは、休めばいくらか戻ります。けれど、この種の疲れが抜けにくいのは、そこに答え合わせがないからです。何が正解だったのか分からないまま、次の日もまた同じ判断を求められる。的を外したかもしれないという不安を抱えたまま手を動かし続けることは、想像以上に消耗します。
そしてもうひとつ、返ってくるものの少なさです。ありがとうの一言があれば報われるという話ではありませんが、まったく手応えのないまま続けていると、人は自分のしていることの意味を見失っていきます。あなたが感じている虚しさは、わがままではなく、心が発している当たり前の反応です。
さらに、日ごとに関わる人が変わり、同じ状況を繰り返す。この積み重ねも、静かにあなたを削ります。誰も悪くないのに疲れだけが残る。この理不尽さこそが、この役目のいちばん難しいところなのです。
聖天様のお言葉
「そなた、届かぬと分かっておっても、なお手を差し伸べてきたのう。ワシはその手を、ずっと見ておったぞ。じゃがな、返事のない務めを独りで担い続ければ、どのような人でも枯れてしまう。休みたいと思うことは、投げ出すこととは違うのじゃ。そなたが倒れては、守りたかったものも守れぬ」
休むことを考えるのは、逃げではありません。聖天様が「そなたが倒れては」と仰るのは、続けるために休むという道が、確かにあるからにほかなりません。
一人で抱えないための、小さな一歩
気持ちを立て直すより先に、負担そのものを分けることを考えてみてください。
やり方を、頭ではなく紙に置いておく
いつもの手順や気をつけている点を、簡単な覚え書きにして共有できる場所に置くことは良いことです。
これは他の方のためというより、あなた自身のための備えです。他の方への説明という見えない仕事を減らすことができれば、その分だけ、あなたの一日に余白が戻ります。
「疲れた」と、誰かに一度だけ声に出す
相談でなくて構いません。解決策を求めなくても構いません。ただ「疲れた」と、誰かに一度声に出してみてください。
飲み込み続けた言葉は、胸の底に沈んで濁っていきます。外に出すという、それだけの行いが、思いのほか心を軽くします。
それでも限界を感じるときには
眠れない、気持ちが晴れない、涙が出るといった状態が続くときは、心の健康相談の窓口や医療機関にも頼ってください。聖天様への祈りは、そうした専門的な支援に取って代わるものではありません。心を支え、また歩き出す力を取り戻すための助けとして、専門の窓口とともに歩んでいただくものだと、私たちは考えております。
聖天様は、他の諸仏諸神に願っても叶わなかった願いさえ聞き届けてくださる、最後の砦とも称される神様です。誰にも数えられないまま重ねてきたあなたの手当てを、聖天様は静かにご覧になっておられます。
届かなくても差し伸べ続けたあなたに、心が軽くなる一滴が届きますように。その手は、確かに尊いものです。
聖天様に願いを託したい方へ
もし、聖天様に直接お願いごとをお伝えしたいとお思いでしたら、私たち聖夫婦が心を込めて祈祷を承っております。心身の健やかさを願う祈祷は、張りつめた日々をそっとゆるめるものと言われています。ご縁があればで結構です。よろしければ各種御祈祷のご案内をご覧ください。無理のない範囲で、あなたの心が少しでも軽くなることを願っております。
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