美味しい?不味い?
人間は食べないと生きることが出来ません。
つまり食べれるということは生きれるという喜びなのです。
しかし世の中が裕福になればなるほど、食べることが出来る有り難みを感じることもなく、「不味い」という不徳な人間が増えます。
これでは功徳を得ることも出来ませんし、聖天様(歓喜天)も他の神仏様も振り向かれません。
もちろん人間ですから、食べ物に好き嫌いがあれば、味の好みも異なります。
しかし、だからと言って「不味い」と口にだすのは如何なものかなと存じます。
仮にグループで食事をし、その中に一人が「美味しい」と言って、周囲が喜ばしい気持ちになっても、嫌な気持ちになることは御座いません。
一方で、誰か一人が「不味い」と言って周囲が喜ばしく感じることはなく、美味しいものでも不味くなるような嫌な気持ちになると存じます。
聖天様(歓喜天)は喜びの神様です。
先ずは自分が「美味しい」と喜ぶことで聖天様(歓喜天)も喜ばれ、それにより他人が喜ぶことが、自分の功徳となって貯まっていくのです。
先ずは常日頃から食べれることに対し「有り難い」と感謝し、「美味しい」と喜び食べて下さい。
仮に不味かったとしても、「不味い」なんて絶対言わず、他人を嫌な気持ちにさせないことです。
合掌
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