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心形一如

神仏様僧侶の法話
僧侶の法話
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僧侶様の法話

此のお話しは、以前にも致した事が有りますが先ずは、お浚い程度に御覧下さい…。

先ず幸せに成る為の本質は、過去にお話しした通り身、口、意識が最も重要で謂わば此の三つのバランスが流れを変える第一歩と成ります。

謂わば【心の動きに対して行動が有り、言霊を発し其の因に従い縁が結ばれ結果と成す。】

至って単純な事で御座いますが頭で解って居ても実行は、難しいもので日々の心の移ろいとは、目まぐるしく過ぎ結局、「ればたら…」の結果に憂き目と愚痴が出ます。

では、如何にして調和を取るかですが先ずは、【出来る事を無理無く続ける事です。】

例えば口に於ては、言霊が有りますから出来るだけ言葉を大切にして【三つの禁句】は、守る事です。

三つの禁句とは、其の言霊を発する事で自分を縛り又、流れを歪ませる言葉で御座います。

其の言霊とは、「忙しい」、「〇ね」、「無理」の三つで〇ねは、自ずと解ると思いますが呪詛の言葉で自ら墓穴を掘るのと一緒ですね…。。

「忙しい」とは、心を亡くす言葉で謂わば自分も見えなく成りますし判断力を鈍らせます。
只此の言葉は、一時的なもので有れば問題無いのですが其が慢性的、口癖の様に成る事が問題で御座います。
心を亡くすは、大切な事も見えなくさせますから慢性的に成らない様に注意が必要です。

「無理」とは、其の時点で可能性を否定してますし理が無い事ですから流れも否定的に成ります。

此の言葉も忙しい同様に口癖にしたり慢性的に発する様に成る事が問題で要は、使い方の問題では、有りますが否定的な内容、暗示で有る事には、変わりません
では、如何に言霊を変えるかですが其は、「有難う」と「赦す」そして「幸せで有る」の三つの言葉が流れを変える秘訣と成ります。

「有難う」は、謂わば感謝の言葉ですが以前よりお話しして居る樣に【有るが難しい事をして貰った】と謂う良い縁が有った事ですから其の言霊を発する事で良い縁が繋がります。

「赦す」は、如何なる事も受け入れる自然体を意味し又、他を赦し又、自分を赦す事ですから自己の解放に繋がります。

「幸せで有る」は、日々是好日と共通性が有りますが今、貴方が存在して居る事は、様々な縁が有っての事ですし貴方の存在は、世に一つしか無く又、奇跡とも言える縁が有ってこそ今が有るのです。

貴方の存在は、決して無意味では、無く必要とされて居るが故に存在して居ます。
其以上の幸いは、無いでしょうし其の事に気付いた時、新たな幸せに気付く事が出来ます。

言葉が変わると心にも作用し行動も変わります。

要するに自身の心を肯定的、否定的どちらで充たすかが重要で御座いまして日々何気無い言葉で有っても言霊は、確り心に刻まれる訳ですから些細な言葉で有っても其の積み重ねが御縁で有ったり結果に至る迄多くの作用をもたらすのは、謂うまでも御座いません

即ち身と心は、連動して居りますから心が安心感で満たされると行動にも余裕と視野も余裕が出ます。

視野が拡がると姿勢も調い呼吸も調います。

呼吸が調うと活力が生まれます。

と言っても心は、意外と曲者で中々調っては、くれませんし疲れた心では、難しいですね…。

其の樣な時は、如何にするか…。?
答えは、簡単で休む事と【時薬】を服用する事です。

心の疲れや傷は、見えないもので他者には、見えませんが自分が一番知って居ます。
故に必要な分だけ休んでも良いのですし自分を大切にする事です。

しかし此処で間違っていけないのは、休む事と怠ける事、自分を大切にする事と自己愛とは、似て非なる事で有ります。

休む事は、一つの解放の手段で有り客観的に自己を見つめ答えを出す事で怠惰に時間を貪る訳では、無く刹那を大切にする事が基本です。

自分を大切にする事は、自分を赦し労る事で自分主義に考えたり都合良く解釈する訳では、無く他を尊重し大切にする樣に又、大切な人を慈しむ樣に自分も慈しみ苦抜楽与の慈悲心、自他同時の心が肝要です。

即ち、慈悲心からの行動は、心を満たし幸せの種を作ります。

謂わば親が子を慈しむが故に時に叱り、愛語を発し又、守り育てる樣に自分に対しても同様に大切にして決して犠牲を払わず貪らず分け合う事です。

さて、口と身に付いてお話し致しましたが基本と成るのは、心に有ります。

何故ならば心形一如のお題の如く心とは、象を求め揺れ動き象が調うと安心感が生まれ安定します。
又、心は、他人が動かしたり縛る事は、出来ませんし常に自由な存在です。

しかし其の自由を縛り餓えさせ憂き目に導くのは、誰でも無く自分自身なのです。

逆を言えば解放させるのも自身で有り赦すのも自身なのです。

即ち、心の器を如何に作り何で満たすかで幸、不幸は、変わりますし其の心で観る世界は、浄土にも地獄にも変化します。

破地獄偈の偈文にも御座いますが「若人欲了知 三世一切仏 応観法界性 一切唯心造」

直訳では、
【若し人、三世一切(さんぜいっさい)の仏を了知(りょうち)せんと欲しなば、応(まさ)に法界(ほっかい)の性(しょう)を観ずべし、一切唯心造なり。】

口語訳は
【若し、仏の心を知ろうとするならば、宇宙一切の諸法の本性を唯だ心造(しんぞう)なりと観ずべし。】

謂わば、宇宙一切の物事は、唯、心の働きが造り出したものなのだ。と謂う事と成ります。

謂う為れば今貴方が五感で感じる全ての動きは、心が感じそして考えて居る訳ですから謂う成れば世の中全ての事柄は、心が造りだしたもので有りますし地獄も極楽も自身の心が造り出したもので有ります。

故に佛を観たいと思うならば心に佛を映し佛と同じ誓願を奉り佛と同じ行いを為せば宜しく逆も然り自身の憂き目や苦しみは、心が造り出して居る訳ですから心を調え御する必要が有ります。

総ては、貴方の心が造り出した世界で有り他者が造り出したものでは、無いのです。

謂わば観法を変えると心が変わり心が変わると行動、言霊が変わります。

言霊が変わると流れも変わります。

即ち、身口の基本は、心に有り其の心を大切に出来るも粗末にするも貴方自身に他成らないのです。

要するに心を調える事にお金も労力も必要無く貴方自身が如何に造り如何に有りたいかで幸福も不幸も変幻自在なのです。

又、貴方と言う存在は、世に双日が無い樣に一天の存在で有り貴方が誰かを愛する樣に貴方も誰かから愛され大切な存在と思われて居ます。

決して独りでは、無く誰かが貴方を観て居ますし同じく佛樣の慈悲の光も月光の如く等しく注がれて居ます。
其の光を受けるも遮るも貴方の心で有り貴方が目を背け無い限り観る事が出来ます。

愚僧達は、心を調える為、日々の生活に工夫を凝らし又、ひたすらに座ります。

別に真似する必要は、有りませんが此の法則性を知る事で貴方の刹那は、より豊かに彩られる事を信じて講釈を終えたいと思います。

天祥 九拝

執筆者:瑞鳳天祥

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