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言ノ葉

子猫(瑞鳳天祥様)
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執筆者:瑞鳳天祥

本日は、言葉に付いて少し考察致したいと存じます。

世の中には、様々な言語や表現が御座いますし動物に於いても各々のコミュニケーションツールを持って居ります。

さて、我が日本に於いては、同じ意味でも相手に応じた言葉使いや表現等様々に変化致します。

此れは、日本独自のもので御座いまして元々繊細な気質と農耕民族故に其の集団的生活に於いて快適に生活する為に多くの表現が発達致しました。

さて現代に目を向けて見ますと通信方法の発達に依り遠くの人即座に会話や意思の疎通は、可能と成りましたが言葉に関しては、実に貧相に成ったと思います。

心形一如の言葉の如く言ノ葉の貧しさ心の貧しさに比例致します。

其の理由は、心は、相手には、見えませんから自身の思いや意思は、言葉と謂う表現に依ってのみ伝わりますが其の表現が適切に出来ないと誤解を与えたり表現出来ない故に萎縮して自身の殻に籠りますし他人との接触を拒みます。

其の事に因り心は、飢えと渇きに至り有る意味心の飢餓状態に至りますが自身の意思が伝わらない故に更に孤独や萎縮や不安に変わり心は、更に貧しく孤独に陥ると謂う最悪の循環を始めます。

故に言葉の表現が豊富な人は、心も豊かですし人とのお付き合いも上手な方が多い様で御座います。

もう一つは、言葉には、言霊と申します考えが御座いまして言霊は、音に載って相手に伝わり其の心を動かす他にも様々な作用をもたらします。

其の代表的な例が神道の祝詞や様々な咒で御座いまして此れは、言霊の理に従い編纂されて居ります。

現代の電脳社会では、様々な言葉が舞い飛んで居りますが時として暴力的な言葉や愚僧達から致しますと本来禁忌の言葉も多く見受けられます。

本人達は、軽い気持ちで用いて居るかも知れませんが言ノ葉の理に当て嵌めると大変危険で場合に依っては、命の危険をも孕みます。

其の理由は、言霊の作用から相手に呪を掛けて居る事が挙げられ言葉は、諸刃の剣、舌は斧と申します通り仏教に於いても言葉に関して事細かに戒めて居られます。

更に以前ユングの潜在的共意識をお話致した通り何気ない言葉でも言葉にして相手に放つ以上、自身へ放った言葉と成りますから相手を傷付ける言葉は、自身を傷付ける事と同様と成り故に言葉を用いる際は、充分考えた上で更に言葉の本来有る意味を踏まえて用いるのが肝要で御座います。

もう一つ言葉には、物事や物体に意味を持たせ認識させる作用が御座いまして解り易い例が命名と言えるかと存じます。

謂わば新たに生まれた生命に名を付けて現世に存在の証を示す訳ですし全ての物事にも其の存在を示す言葉が御座います。

謂わば見えぬ心や物事を言葉に依って現し存在を証明致す訳ですし心に関しては、【信じる】の信は、人の言と書きます通り心に響き自身の心を伝うが故に信じる事が出来ますし信じるが故に【人】の文字通り互いに支え合い生きる事が出来るので御座います。

然し現代は、偏った合理主義故に言葉も単調且つ記号化の傾向が顕著に御座います。

確かに言葉は、時代と共に変化致しますが其れは、ある程度、意味を踏まえた上での事で現代の様に暗号化記号化致して居りませんし先程より申し上げて居りますが言葉は、心を顕すもので御座いますから故に極端な短縮や造語等は、確かに一つのコロニー若しくは、共通のコロニーの間では、通用し言語として伝わりますが此が一般社会では、全く通用致しませんし言葉を粗雑に扱って居る弊害からいざ必要と成った時には、付け焼き刃若しくは、誤った用いかたと成り始めにお話した通り負の連鎖が始まるか矯正の為、労力を費やす事と成ります。

所謂、言葉は、心を伝えるものですから粗雑に扱う事は、言ノ葉に心が無い訳で御座いますし意思は、伝わるけれども心は、伝わらない訳ですから故に人間関係は、崩壊し更に偏った合理主義から人付き合いが億劫に成りますし現実社会より居心地が良いコロニーに依存する形に成り悪循環は、更に拗れます。

更に世の中には、怨憎会苦と申します様に好ましい人も居れば憎らしい人も居ります訳で幼少時ならば関わらない事も出来るかと思いますが社会に出ますと好ましい人、苦手な人も多々居りまして関わらないと謂う選択肢は、皆無に近く何かしらの関わりを持たなければ成りません

其処で重要と成るのは、コミュニケーション能力で御座いまして如何に逃げるかでは、無く程好く距離を保つかが重要で御座いまして言葉の扱いが巧みな人は、言葉に依って其の間合いを保ち心の崩壊を防ぎます。

更に最近は、グローバル化等と申しまして何かと横文字を多用したり英語を持て囃す傾向が御座いますが愚僧の私見と致しましては、先ず外国語云々よりも自国語や自国の文化等を確り学んだ上で外国語等を学ぶべきかと存じます。

其の理由とは、自国語や自国文化は、自身の生活の基盤で御座いますし其の基盤無くして他は、語れませんし更に自身の心を伝えるにしても表現や感性は、自国文化が有っての事で御座いますから見た目の華やかさに目を奪われ根底を無くせば如何に飾るとも根なし草の如く些細な切っ掛けで崩壊致す訳で御座います。

特に日本の風土は、四季彩豊かに感性も豊かで御座いまして色彩に於いても繊細な色調や名称を持って居りますし時候に於いても様々な言葉で表現致します。

其の様な恵まれた環境に有りながら見た目の華やかさを追い求めるのは、大変勿体無いですし自身の本質を否定する事で御座います。

現代の閉塞感や満たされ無き状況は、謂わば見た目に囚われた根なし草故に御座います。

温故知新と申します通り故き良きものの中に新たな工夫が御座いますしグローバル化と申すならば尚更、自国の良きものを発信広める事が真の国際化では、無いかと存じます。

先ず其の為には、看脚下(足元を看なさい)則ち生活の中に有る事柄や文化を今一度見直す時代では、無いでしょうか?

天祥 九拝

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