小坊主
前回のお話は湛海律師が生駒で聖天様の尊像を造立されたお話だったけど覚えてる?
聖天の尊像を造立のこと
小坊主 前回のお話は湛海律師が生駒で不動明王尊像を彫刻されたお話だったけど覚えてる? 女性 はい、法...
小坊主
1682年、天和2年2月の国替えにより、本多忠国公とともに梶金平一雄さんも、6月11日に播州姫路城に入られた。
小坊主
その直後の7月12日には、般若窟本尊の弥勒菩薩像の西巌上に、石造の宝塔が安置された。
小坊主
そして、冬には聖天様のお像の開眼供養も終わり、逐次山容も整備されてきた。
女性
パチパチ~!聖天様の開眼供養、お疲れさまです!
湛海律師
そこで、以前からの念願であった閉関に入ろうと心に決めた。
小坊主
「閉関」というのは、「静かな場所に隔離され誰とも接触せずに修行を行う 」ことですよね?
女性
まだ、生駒に来てちゃんと落ち着いた訳でもないのに、もう籠もっちゃうんですか?
湛海律師
このたびの閉関修行には、いっさいのことを投げ捨て、長い間、世俗とも離れ、二度と人とも対面しないと覚悟をしている
。
小坊主
二度と..いやいや…お弟子さんは?
湛海律師
なので、弟子たちを取りまとめ、指導できる僧がいなくては、とても閉関には入れないと考えている。
女性
そうですよね。驚いた。
湛海律師
そこで、自分を生駒に来ないかと誘ってくれた洞元律師が、親しい間柄であるので、彼に住持の職を譲ろうと考えて、山に来てもらって、私の心のうちのいっさいを話してみた。
小坊主
そこで、洞元が申すには、「弟子の一人に聖天の法を伝授して、修行をさせるのが相応である」と強くいい張る。
湛海律師
しかし、同意できない。
女性
閉関修行に入るのが随分遅れるからでしょうか..
小坊主
きっとそうだな。
小坊主
湛海律師が同意しないので、「そうであれば、住持の職をお受けすることはできない」と洞元律師はお答えになる。
小坊主
たまたま、湛海律師の閉関のことを聞きおよんだ梶金平一雄さんが、見舞いの者をさし向けて来られた。
小坊主
そこで、使者にこのことを話したところ、使者も洞元のいい分を道理至極であると言う。
湛海律師
私と洞元の考えを梶氏に伝えたところ、梶金平一雄さんも洞元の方の話に同意した。
小坊主
施主として法具類も整えますので、ぜひとも弟子の一人に法を伝えるようにと、ふたたび使いの者を寄越された。
湛海律師
しかたなく、百日ほど閉関に入るのを延ばして、老年の僧に浴油供を伝授した。
小坊主
しかたがなかったんだ…
女性
やっぱり修行ファースト的な…
湛海律師
ちょうどこの頃、梶氏からは五人扶持をいただいていた。
小坊主
五人扶持とは、五人世帯の一家の生計を保つことができるぐらいの俸祿、要はお金だね。
湛海律師
さて、老僧に浴油供伝授の際、ある施主との間で、天堂建立の話が進められ、近々結論が出ることになっている。
湛海律師
話がまとまれば、このように普請をするようにと指図をして、思いのように閉関修行に入った。
女性
普請とは、土木・建築の工事のことだから、天堂の工事については一応ちゃんと考えておられたのね。
小坊主
でも、もう閉関修行に入っちゃったよ。
湛海律師
その後、大坂の谷村昌安玄仙を施主として、1686年。貞享3年4月、今の天堂が建立され、1682年、天和2年に自ら刻んだ聖天像を安置した。
湛海律師
しかし、このことは私が望んだことではなく、すべて天尊のご方便である。
小坊主
教え導く巧みな手段とでもいうのでしょうか…
湛海律師
天堂建立と時を同じくして、諸弟子のために伝法潅頂を修行し、伝法の受者57名、付法の弟子23名であった。
女性
伝法灌頂を受け阿闍梨位を得て、はじめて正式な僧侶と認められるんですよね?
小坊主
そうだね。
小坊主
次もお楽しみに~
合掌
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