今回のお話は、湛海律師御自筆『霊感記』下巻より 湛海律師が不動明王様のご眷属になると決心されたので、歓喜院を譲る場面です。
小坊主
前回のお話は聖天様が湛海律師に怒り狂ったお話だったけど覚えてる?
湛海律師、聖天様の御眷属とはならない!
今回のお話は、湛海律師御自筆『霊感記』下巻より 湛海律師が聖天様への疑念は晴れたのですが、聖天様のご...
小坊主
今回は、湛海律師は不動明王のご眷属となることを決意したので、歓喜院を人に譲ることにした場面なんだ。
女性
聖天様の怒りは冷めたのでしょうか…
小坊主
1672年 寛文十二年 冬の頃(10月から12月)、不動明王の眷属になるとの決意のもとで修した、
小坊主
二座目が出来るかと危ぶんでいた二座の八千枚護摩供も無事に終わったんだったよね。
小坊主
その翌年、1673年、延宝元年(一六七三)の春に、とうとう湛海律師は京都の粟田口にあった歓喜院を離れる決心をしたんだ。
女性
誰に後住を任せたのですか?
小坊主
永代寺での兄弟弟子だった周範に譲ろうとしたところ、 周範は、
小坊主
湛海律師の後をお引き受けいたすからには、末永く師匠と同じように、優れた修法ができますように、今一度浴油供を修して、ご伝授いただきたい
小坊主
と湛海律師にお願いしたんだって。
女性
うわ~。聖天様とのご対面ですね。湛海律師は浴油供をされたのですか?
小坊主
うん。湛海律師は、
湛海律師
このたびは、天尊とのお別れのための修法でございます。なにとぞ、良い後住をお恵み下さい
小坊主
と浴油供で祈願されたのですが、聖天様は声を荒げて、
聖天様
そのようなことは、わしの知ったことではない、おまえはわしを捨てて、いずれともなく立ち去るからには、おまえの一生は無事では済むまいぞ
小坊主
と、目をまっ赤にして湛海律師を睨んだというんだ。
女性
湛海律師はどうされたのですか?
小坊主
恐ろしくて身の毛も立ち、まことに困り果ててしまったらしい。
小坊主
しかし、湛海律師の決意も固く、そんなことがあっても 歓喜院の後住も 周範に決めて、
小坊主
1673年 延宝元年、夏(4月から6月)を迎える頃、というから3月末から4月頃かな、意を決して円忍律師から菩薩戒を受け、
小坊主
かっての円忍律師の自坊であった法隆寺の北室院に移り住んだんだって。
女性
大丈夫だったのですか?聖天様結局怒ったままでしたが…。
小坊主
うん、そのせいか、どうかは分からないが、湛海律師の思うがままには事が運ばず、
小坊主
聖天様を捨てたことや、歓喜院を離れたことなどでそれからも、おおいに悩み、
小坊主
心労の上に病気も重なって、心身ともに苦しみ、難儀したというんだ。
小坊主
で、このような境遇の中で、いろいろと想いを巡らして見ると、
湛海律師
これはすべて、聖天様がお怨みになっているからであろう、
湛海律師
このようなことが続くのは、何か気味の悪いことだ。
湛海律師
ここは、 菩薩戒を受けたことを、 お詫び申すに越したことはない。
小坊主
そう考えて、
湛海律師
これから以後も、聖天様の宝前に供物を供え、お経を唱えて、日々に供養申し上げます。
湛海律師
菩薩戒を受けたことはお怒りではございましょうが、 なにとぞお許し下さい
小坊主
と、 願文を認めてお願いをしたんだ。
女性
どうなりましたか?
小坊主
湛海律師は、その夜夢を見たが、聖天様はいかにも優しそうなご様子でお出ましになり、
聖天様
おまえは、苦しむことがあると、これは聖天の怨みのせいだ、これも天の仕業だと、何でも彼でも悪いことはわしに押しつけているが、それはたいへんな過ちであるぞ。
聖天様
わしは以前にはおまえを怨んでいたが、今はもうさようなことはない。
聖天様
おまえが菩提心に目覚め、沙弥の戒を持しているのを、わしが嫌うと思うか、嫌いはしないぞ。
聖天様
人間一人一人、各人が行いの報いをどのように受けようとも、 そのことについては、 自分はどうこういうことはないのだ。
聖天様
ただ、袖の長い衣装は着こなすのに長い日時を必要とするように、
聖天様
律も同じで長い時間をかけても、なかなか理解し難い教えであるが、まことに優れた教えであると思うぞ
小坊主
とお告げになったというんだ。
女性
あら?聖天様がもう、お許しになってる!それからどうなったんですか?
小坊主
それからは、湛海律師の病気も平癒して、それだけではなく、思い悩んでいたことも解消して、心身ともに安らかになったんだって。
女性
聖天様効果ですね!
小坊主
で、1674年、延宝二年 春(1月~3月)以降、湛海律師は『修善要法』 『観行要法』の撰述をしておられた円忍律師を、
小坊主
歓喜院裏の臥雲庵に訪れ、その当時、仁和寺での受法のために同庵に仮住まいしていた浄厳、龍海ともあい知るようになったんだって。
小坊主
浄厳(じょうごん)さんは、霊力に優れた方で、綱吉の子の疱瘡を治したともいわれている方なんだ。
女性
なんかすごい人達の集まりね!
小坊主
浄厳は受法の合間には円忍律師の撰述を手助けしていたが、その暇々に円忍律師、浄厳、湛海律師の三人は律の奥義を語り合っていたために、
小坊主
湛海律師はいよいよ律に傾倒して、その修学を志すようになっていったんだ。
女性
長い時間をかけても、なかなか理解し難い教えであるが、まことに優れた教えであると思うぞと聖天様も仰っておられたしね!
小坊主
湛海律師は、その間にも、5月には不動明王と二童子の粉本を描いているから、どこにそんな時間があるのだか..。
女性
湛海律師は江戸を代表する仏師でもあるんでしょ?すごいですね!
小坊主
浄厳、龍海は十月に臥雲庵を去っているが、湛海律師はその直前の九月に、聖天様への思いに整理がついたのか、
小坊主
1672年 寛文12年、3月に自刻した聖天像を、浄厳を通じて龍海に与えている。というんだ。
女性
実際に聖天様を拝見したことのある湛海律師の聖天像…もう聞いただけでご利益がありそうですね。
小坊主
律の修学を決意した湛海律師は、12月4日、初めて門跡尊証法親王にお目にかかり、
小坊主
今までの知遇を謝し、自らの心中を申し述べ、粟田口を離れる挨拶をして、神鳳寺へと向かったんだって。
小坊主
その後、泉州神鳳寺、円忍律師のお寺だね、ここに入り、円忍律師を師として具足戒を受け、
小坊主
律学の修学も3年に及んだので、修行一途に打ち込む覚悟をして、和州の風ノ森にある、医王山南禅寺に移り住んだんだって。
女性
そんなに忙しくされていて、『聖天様の宝前に供物を供え、お経を唱えて、日々に供養申し上げます。』の約束は守られているのでしょうか…少し心配です…。
小坊主
今回はここまで~
小坊主
次回もお楽しみに~
合掌
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湛海律師、具足戒を受けその後、南禅寺での修行
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