今回のお話は、湛海律師御自筆『霊感記』下巻より 湛海律師が聖天様からのお誘いに疑念を持つ場面です。
ここまでを時系列から振り返ってみよう。
1646年、正保3年、湛海律師が18歳の時仏門に入る。
寛文10年、1670年の秋も終わる頃、大きな願いを起こし、湛海律師自ら『千日を限っての浴油供』を行う。
1672年、寛文12年のお正月中、第五百日目の修行の最中に、初めて聖天様が現れ、聖天様から眷属になるようお誘いを受けた。
寛文10年、1670年の秋も終わる頃、大きな願いを起こし、湛海律師自ら『千日を限っての浴油供』を行う。
1672年、寛文12年のお正月中、第五百日目の修行の最中に、初めて聖天様が現れ、聖天様から眷属になるようお誘いを受けた。
とここまでは、いいかな?
はい、しっかり思い出しました。
今回のお話は、1672年、寛文12年、
『千日を限っての浴油供』が550日を過ぎたあたりの春の終わりの頃、
聖天様に眷属になれとお誘いを受けてから50日ほど経った頃のお話。
1672年、寛文12年は、まだ家綱の時代ですね!
そう、その時代。
円忍律師が湛海律師のいる歓喜院を訪れたんだ。
歓喜院というと、京都に湛海律師が建立され、独立された寺院ですよね?
そう。
円忍律師とは?
大阪府堺市にあった神鳳寺(じんぽうじ)、今は廃寺で、
現在の大阪府堺市西区鳳北町にある大鳥神社なんだけど、
そこで住職をされていたのが真政円忍、円忍律師。
湛海律師は来訪された円忍律師から、持戒の徳、自利のこと、他利の功徳などについて、
いろいろと説き聞かせてもらったんだって。
円忍律師からいろいろ教わったことが、聖天様に疑念を抱くことに深く関わっている感じですね?
そうなんだ!いろいろ教わったことを深く考える日々が続き、
聖天様の浴油供の 供修の間にも、いろいろ考えてしまい、
聖天様にについて、わずかばかりの疑念を持つようになった、というんだ。
わずかばかりの疑念…疑いを持ってしまったのですね。で?何が起こったのですか?
円忍律師がお見えになったのが春の終わりの頃だったんだけど、それから2ヶ月程経った、5月末の頃、
5月も末くらいになってくると、どうなる?
なってくると?….暑くなる?
そう、次第に暑さも厳しくなる季節になってきたので、湛海律師は、
夏の間は浴油供を修するのは困難である!
そう考えたんだw
いや、確かに暑くなると、浴油供はさぞかし大変だろうな..とは思いますが…
そして、湛海律師は思い立った!
しばらくは浴油供をやめよう!
そして、心を落ちつけて、聖天様がどのような分類の神に入るのかを、深く考えて見よう!
で、浴油供をヤメてしまったんですか?
うん、疑念を抱きながらの浴油供…どうしても出来なかったんだろうね。
で、聖天様はどんな神様だという結論に至ったのですか?
湛海律師は、もともと、聖天様は他化自在天の主である魔醯首羅であって、
障害神の毘那夜佉であると聞いてしまったことから、疑念が湧いてきたんだ。
他化自在天(たけじざいてん)とは?
仏道修行を妨げている魔のことをさしているんだ。
障害神の毘那夜佉である。とも考えたんですね。
そうなんだ。だから、
そのような神様なのであれば、聖天様の眷属になることは、たいへんな過ちを犯すことになる!
そう考えてしまったんだ。
それからどうなったんですか?
やはり、 聖天様に疑念を抱いたためか、 供修にも身が入らず、 おろそかになっていったんだ。
おろそかになっちゃあ、聖天様は黙っていないだろうね。
そして、どうなったんですか?
聖天様は、湛海律師の心をただちに読み取られ、 厳しくお叱りになったそうだよ。
厳しく…でも愛がなければ怒りませんよね~
聖天様は湛海律師にこう諭されたんだ。
おまえは、我を魔醯首羅ではないかと疑っているが、それはたいへんな過ちである。
魔醯首羅の目的とするところは、国々に戦いを勃発させたり、種々の災難を起こすことであって、魔神のようなところがある。
しかし、我は大日如来の仮のお姿であるがゆえに、大聖歓喜天といわれている。
また、多くの毘那夜迦を眷属として従えているので、毘那夜迦という名前でも通っている。
しかし、我は他の障害を起こす毘那夜迦とは異なって、世の人たちに喜びや、 楽しみを与え、
人々の抱いているいかなる願いをも成就させている。
先にもいったように、我は衆生に利益を与えるために、大日如来の仮のお姿として現れたのである。
と諭されて、続いて、
おまえは知らないであろうが、小野曼荼羅寺の古い教典を見てみろ!
と、そんな風に諭されたんだ。
湛海律師は、
聖天様のお言葉を聞いて、不思議な思いにかられたが、『小野曼荼羅寺の古い教典を見てみろ!』と言われた曼荼羅寺という寺が、何処の国にあるのかと気になっていたんだ。
そのようなある日、
湛海律師が東寺に参詣した時、懇意にしていた寺に立ち寄り、
ふと机の上の巻物を見ると、小野曼荼羅寺経蔵という字が目に入ったんだ。
聖天様の『小野曼荼羅寺の古い教典を見てみろ!』の小野曼荼羅寺だ!
湛海律師も、『小野曼荼羅寺の古い教典を見てみろ!』と言われてたので、これはこれはと思い、
この巻物に書かれている曼荼羅寺と申すは、いずれの国の寺号ですか?
と東寺の方に尋ねたんだ。
すると、東寺の方が
これは小野随心院門跡のことであると言われたんだ。
小野随心院門跡って、お寺の門の跡地?
いやいや、小野随心院門跡とはね、京都市山科区にある真言宗善通寺派の大本山の寺院なんだ。
門跡というのは、皇族・公家が住職を務める特定の寺院、あるいはその住職のことなんだよ。
じゃあ、聖天様に見てみろ!と言われた物が目の前に出てきたのですね?
そうなんだ。湛海律師はその教典を拝借してよく見ると、覚禅抄のうちの、聖天様について書かれた一巻だったんだ。
わ~まさしく、聖天様が見てみろ!と言われた書物なのですね。
湛海律師が巻物を開いて見てみると、その文中に、
智証大師の書かれた目録の中に、聖天は魔醯首羅の分類に入るとされているが、これはたいへんな誤りである。
聖天は衆生の種々の願いを、自由自在に成就させる功徳を持っておられるので、自在天という名前がつけられている。
他化自在天ではない云々…というようなことが書いてあったんだって。
智証大師(円珍)は平安時代の天台宗の僧で、空海の甥(もしくは姪の息子)にあたる方なんだ。
この覚禅抄の説明で、湛海律師は聖天様に対する疑惑を止めて、
さすがに聖天は並びなく優れた神であると思い直した!
では、とうとう眷属になる決心をしたんですか?ヤメていた浴油供は?
疑いは晴れたはずなんだけど、眷属になるについては、どうしても躊躇していて、浴油供も結局ヤメてしまったみたいなんだ。
えっ?そうなんですか?なんで?
なんでだろうね…でも、凄いことがその後に記されていたよ。
眷属になるのは躊躇し、浴油供も中断したまま過ごしている間に、聖天様は湛海律師に未来予知でいろいろのことを知らせて下さったりしたんだって。
例えば、徳川第五代将軍綱吉様が馬寮の長官をなさっていた頃に、
徳川第五代将軍綱吉は今は馬寮の長官をしておるが、後には天下の大将軍になるんだぞ!
とか、その他、いろいろのことを未来予知で知らせてくれたらしいんだ。ちょっと、これって凄いことだよね?
そりゃも~凄い!流石!なんで浴油供を再開しないんでしょうね…
ま~今回のお話で、聖天様への疑惑は少し晴れたはずですが、浴油供は結局中断したまま。さ~これからどうなるのか…次回もお楽しみに!
合掌
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