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責任の所在と成長

反省
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聖夫婦

この世を生きるには、いろいろ嫌な出来事があります。そして、この世は人と人で成り立つが故に、その嫌な出来事には、自分以外の者が関係する場合が多いです。そして問題となるのが、その嫌な出来事の責任の所在です。つまりは、その嫌な出来事は、自分の責任なのか、それとも他人の責任なのかということです。

学校で嫌なことがあった。会社で嫌なことがあった。友達と遊んでいる時に嫌なことがあった。恋人とデートしている時に嫌なことがあった。家族といる時に嫌なことがあった。などなど・・・。

その嫌なことがあった責任を自分の責任じゃなく、他人の責任だと考える人間に成長なしです。一方で、嫌なことがあった責任を他人の責任じゃなく、自分の責任だと考える人間は成長します。なぜなら、他人の責任にする人間は反省しませんが、自分の責任にする人間は反省するからです。

反省は人を成長させます。つまり何事であれ責任は自分にあると考える人は成長し、やがて幸ある人生を得ます。一方で、何事であれ責任は他人にあると考える人は成長せず、幸ある人生は得難しに御座います。

やれ学校が悪い、やれ会社が悪い、やれ誰が悪いと、何でもかんでも他人に責任転嫁することは簡単です。しかしそれでは、何時まで経っても他人に責任転嫁するだけで、何ら成長は無く、良い結果も得ません。

この世に生まれ成功する人間は、決して他人に責任転嫁など致しません。たとえ明らかに他人が悪い場合でも、自らの反省点もあると素直に理解し反省し、次に活かします。だから成功するのです。

これ人間と聖天様でも同じに御座います。

聖天様はどんな願いも叶えてくれる神様です。だからと言って何でもかんでも直ぐに願い叶えて下さると思ったら大間違いであり、願い叶わぬ責任の所在は、聖天様にあらず人間にあるのです。

願い叶わぬ結果を聖天様の責任にする人間に成長は無く、いつまで経っても願い叶わぬままですが、願い叶わぬ結果は自分の責任だと受け入れる人間は反省するが故に成長し、やがて願い叶うのです。

これは聖天信仰の心得十二条にも、「お願いの叶わぬときは、未だその時期でないのか、誤った願い方をしていたか、または聖天様のお気持に反するような、お詣りの仕方をしていたからであるから、特に反省してみる必要がある。」と書き記されております。

特に最近は新型コロナウイルスなどでストレスが溜まりやすい時期に御座いますが故に、ついついイライラして他人に責任転嫁しやすくなりますが、そこは何事も冷静に自分自身を見つめ、悪いところは改めることで、願い叶う未来に一歩前進するのかと存じます。

合掌
執筆者:聖パパ

意識と行動

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