無事に参拝へ行き無事に帰ること当たり前と思っては駄目

浅草寺院
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聖天様の寺院は勿論のことですが、他の神社仏閣へ参拝したこと、誰もがあると存じます。

これまでも、当たり前と思っては駄目というブログを、幾つか書いてきましたが、今回は参拝についての、当たり前と思っては駄目を、書き記したいと思います。

神社や寺院に住んでいる人以外は、何らかの方法で神社や寺院へ参拝に行かれると思います。

徒歩であったり、自転車であったり、単車であったり、自動車であったり、バスであったり、電車であったり、いずれにせよ参拝に行く道があれば帰る道もあるわけです。

多くの人が当たり前のように参拝に出かけて当たり前のように家に帰ります。

しかし、この当たり前を当たり前と思ったら駄目です。

特に神社や寺院の中は勿論ですが、その行き帰りなど道中を含めて無事であるのは、全て神仏様や御眷属様らの御守護あってのことに御座います。

例えば聖天様の寺院へ参拝したのなら、「聖天様、いつも行き帰りの道中など御守護賜り誠に有難う御座います。これからも無事に参拝することが出来ますよう、宜しくお願い致します。」という一言あるのが礼儀に存じます。

もう昔の話ですが、ご近所さんが新車を購入し、交通安全祈願で有名な寺院へ行かれ、その帰り道に交通事故を起こしました。

その人は「何が神様だ、何が仏様だ、祈願した帰りに事故するなんて、この世に神も仏も関係ない!もう二度とお詣りなんて行くもんか!」と、怒りながら愚痴文句を言っていました。

これそもそもが、このような意識の人間であるが故に、交通安全の願いは神仏様に届かず、神仏様の御守護を賜れず、自業自得の不注意にて事故を起こしたか、もしくは、命を落とす大きな事故だったにも関わらず、交通安全祈願をした神仏様の御守護あって、大きな事故が小さく済んだかです。

いずれにせよ「神仏様に交通安全祈願したからこそ、神仏様が大きな事故を小さくして下さった。」と理解し、その御礼参りに行くのが正しい意識と行動であると存じます。

そうすることで、また神仏様が御守護と御利益を授けて下さるのです。

それを「何が神様だ、何が仏様だ、祈願した帰りに事故するなんて、この世に神も仏も関係ない!もう二度とお詣りなんて行くもんか!」なんて言う人間は、神仏様の御守護も御利益も授かれぬのが世の常です。

この世で常に神仏様の御守護を賜る人間は、何事にも当たり前なんて思いません。

無事に参拝へ行き無事に帰ること当たり前と思っては駄目です。

もし神仏様の御守護が無ければ、参拝の道中で、何か事故していたかもしれないし、何か怪我したかもしれませんし、財布を落としていたかもしれません。

もし神仏様の御守護がなければ、参拝の道中で起こった小さな禍も、もっと大きな禍だったのかもしれません。

常に神仏様の御守護を感じ、当たり前を当たり前と思わず、神仏様に感謝できる人間として生きることで、神仏様は常に御守護して下さいます。

合掌

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神秘の心得

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