「作っても、いらないと言われる」――その繰り返しに、あなたは疲れていませんか
今日の献立を考えながら、心のどこかで身構えている。せっかく作っても「いらない」と言われるかもしれない。その一言を思い出すたび、台所に立つ足が少しだけ重くなる。あなたは、そんな毎日を過ごしてはいませんか。
私たち聖夫婦のもとには、「もう夫のご飯を作りたくない」という声が、たくさん届きます。けれどその奥には、料理そのものへの疲れだけではない、もっと静かで深い痛みが横たわっていることを、私たちは知っています。
あなたはもう、自分なりの答えを出していた
連絡が来ないから作った料理が無駄になる。だからあなたは、冷凍で常備菜を用意しておくようにした。帰るのか帰らないのか分からない相手を待つのをやめて、自分の手で問題を片付けた。これは立派な工夫です。誰かに教わったわけでもなく、あなたは自分の暮らしを守るために、ちゃんと知恵を絞ってきたのです。
私たち聖夫婦は、まずそのことを心から労いたいと思います。あなたは怠けていたわけでも、投げ出したわけでもありません。傷つかないための答えを、自分の力で見つけ出した人なのです。
本当に痛いのは、ご飯のことではないのかもしれません
冷凍で常備すれば、料理の問題は解決します。けれど、それでも心のどこかがしくしくと痛む。その理由に、あなたはもう気づいているのではないでしょうか。
「連絡ひとつくれない」。それはつまり、「私は気にかけてもらう値打ちすらないのか」という問いへと変わっていきます。ご飯を作らないと決めても消えないのは、この存在意義の揺らぎのほうです。あなたが本当に欲しかったのは温かい食事の礼ではなく、「あなたのことを、ちゃんと想っているよ」という、ただそれだけの合図だったのかもしれません。
沈黙は、必ずしも「どうでもいい」ではありません
ここで聖天様は、静かにこう説かれます。
「そなたが淋しいのは、愛が消えたからではない。伝え合う言葉が、途中で途切れておるだけじゃ。相手の沈黙を、そのまま答えと思うてはならぬのう」
連絡をくれない人が、必ずしもあなたを軽んじているとは限りません。悪気なく、ただ言葉にする習慣を失っているだけのこともあります。もちろん、それであなたの寂しさが帳消しになるわけではありません。けれど、「値打ちがない」と自分に烙印を押してしまう前に、一度立ち止まってほしいのです。
責めるのではなく、「労う」から始めてみる
家庭内離婚の一歩手前。そう感じるとき、人はつい黙り込むか、感情をぶつけるかのどちらかに傾きます。けれど、そのどちらでもない道があります。
それは、責めずに事実と気持ちを分けて渡すこと。「労う」を、夫にそっと投げかけてみるのです。
今日からできる、小さな一歩
「どうしていつも連絡くれないの」と問い詰める代わりに、こう伝えてみてください。「忙しそうだね。」「身体壊さないでね。」「お疲れ様。」「いつもありがとう。」本当はあなたが欲しい言葉かもしれませんが、あえて投げかけてみて下さい。あなたも本当に精一杯頑張っていますが、相手も家族のために働いているのに理解してもらえないと悩んでいるケースも多いのです。一旦、相手のお家での居場所を作るためにも、理解しているよ。あなたはこの家に必要だよ。感謝してるよ。とこちらから、一日一善だと思って投げかけてみてください。あなたが変われば、相手も少しずつ変わるはずです。
あなたは、気にかける値打ちのない人ではありません
連絡がないことと、あなたに価値がないことは、まったく別のものです。あなたは、家族の暮らしを黙って支え、傷つきながらも工夫を重ねてきた人。それは、値打ちがないどころか、この上なく愛情深い人の姿です。
今日の夕暮れ、もしまた連絡が来なかったとしても、どうか自分を責めないでください。あなたはちゃんと、大切にされるにふさわしい人です。聖天様は、そんなあなたの静かな頑張りを、いつもそばで見ておられます。
それでも心がざわつくなら、聖天様にお縋りしましょう。聖夫婦に無料相談からご相談ください。
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