あなたのしたことは、本当に「見えていない」のでしょうか
朝、誰よりも早く起きて支度をする。頼まれてもいないのに、こぼれた水を拭く。誰かのために動いて、動いて、そして一日が終わる。それなのに、「ありがとう」の一言もない。まるで、あなたがそこにいることも、してくれたことも、透明であるかのように。
私たち聖夫婦は、そういう夜を過ごしているあなたに、まず一つだけお伝えしたいのです。あなたの疲れは、わがままではありません。「せめて一言」と願う心は、決して欲張りではないのです。
報われなさは、あなたが誠実に生きてきた証
不思議なことに、いい加減に生きている人は「報われない」とは悩みません。報われなさに苦しむのは、いつも、誰かのために本気で手を尽くしてきた人です。つまりその痛みは、あなたが手を抜かずに生きてきたことの、なによりの証なのです。
けれど人は、当たり前になったものに感謝を忘れます。あなたの働きが確かであればあるほど、それは「あって当然のもの」として、静かに空気に溶けていってしまう。悲しいことですが、感謝されないことと、価値がないことは、まったくの別ものなのです。
聖天様は、見落とすということをなさらない
人の目はしばしば、大きなもの、派手なもの、声の大きなものにばかり向きます。けれど、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)――私たちが聖天様とお呼びするこの大きな神様は、すべてを見ておられ、私たちを導いてくださる存在です。人が見落とす小さな働きの一つひとつを、聖天様は決してお見落としになりません。
ある時、私たちがこの報われなさについて祈っておりましたら、聖天様はこう仰いました。
「そなたの手が動くたび、ワシはそれを見ておるぞ。人が数えぬものを、ワシは数えておるのじゃ。報いとは、誰かの口から出るものだけではないのう」
誰も数えてくれない働きを、数えてくださる方がいる。それを知るだけで、明日の一歩は少し軽くなるのではないでしょうか。
「ありがとう」を待つ場所を、少しだけ変えてみる
とはいえ、「見てくれている存在がいる」と頭で分かっても、目の前の人からの一言はやはり欲しいものです。それは自然なことです。ですから、無理に「感謝などいらない」と思い込む必要はありません。
ただ、もし提案が許されるなら、期待の置き場所を少しだけ動かしてみてください。他人からもらう「ありがとう」だけを頼りにしていると、心はいつも他人の気分に振り回されてしまいます。目に見える人からのねぎらいの言葉は無くても、あなたの頑張りを認めてくれる存在に気づいて下さい。
今日からできる、小さな一歩
今夜、眠る前に、たった一つだけ、あなたが今日した「誰にも気づかれなかったこと」を思い出してください。そして、聖天様に報告してください。かしこまらず、心の中で、飾らない言葉で大丈夫です。「今日はこんなに頑張りました。あんなことがあって、こんなこともあって。」と。聖天様はあなたには見えずとも、あなたの傍で、あなたの頑張りを認めておられます。
誰かの「ありがとう」を待ちながらもんもんと過ごすのではなく、たとえそれがなくても倒れない心の土台を、聖天様は静かに育ててくださります。
締めに
あなたの働きは、透明ではありません。見ている方が、いらっしゃいます。今日も誰かのために動いたその手を、ねぎらってあげてください。毎日少しでも休む時間を、ホッとするひとときを持って下さい。温かいお茶など飲む時間は、あなたへのご褒美の時間となり、あなたの心に癒しをくれます。今夜は、あなた自身のために、あなたの心身をそっと休ませてあげてください。私たち聖夫婦は、あなたのその静かな頑張りを、心から尊いものだと感じています。
▼ 無料相談はこちら

▼ 聖天様への御祈祷

皆様からのコメントお待ちしております。