聖夫婦
聖天信仰する人の多くは、聖天様へ何らかの願い事をしています。逆に言えば願いを叶えて欲しいが故に聖天信仰しているという人も多いでしょう。
聖天様はどんな願いも叶えてくれる神様であり、他の神仏様で叶わぬ願いも叶えてくれる神様ですから、聖天様に願い叶えて欲しいという気持ちから聖天信仰を始めることは決して悪いことに御座いません。しかしながら聖天信仰する心は見返りの心にあらず奉仕の心であるべきです。
聖天様へ何か御供物をするにしても「聖天様、喜んで下さるかな。」という奉仕の心で御供物をするのか、それとも「これを聖天様に御供したら願い叶えてくれるかな。」という見返りの心で御供物をするのか、聖天様へ同じ御供物をするにしても、その価値は全く異なります。
聖天様へ般若心経を唱えるとしても「聖天様、喜んで下さるかな。」という奉仕の心で読経するのか、それとも「これを聖天様に読経したら願い叶えてくれるかな。」という見返りの心で読経するのか、聖天様に同じ般若心経を読経するにしても、その価値は全く異なります。
聖天様の寺院へ参拝するにしても「聖天様に会えること嬉しいな、聖天様は歓迎して下さるかな、早く聖天様に会いたいな。」という奉仕の心で参拝するのか、それとも「聖天様に参拝したら願い叶えてくれるかな。」という見返りの心で参拝するのか、聖天様に同じ参拝するにしても、その価値は全く異なります。
これは、御供物や読経や参拝に限らず、何にしろ同じです。聖天様に叶えて欲しい願いがあること、聖天様は百も承知に御座います。よって、いちいち見返りを求めるような心は必要ないですし、逆に願い叶い難しとなる心であると言えます。
あなたが二人の人から同じ願い事をされたとします。その上でAさんは純真な奉仕の心で尽くして来ますが、Bさんは下心が見え見えの見返りの心で尽くして来ます。あなたならAさんとBさん、どちらの願いを叶えてあげますか?これ答えを聞くまでもないですよね。(笑)
聖天様も同じです。
聖天様へ二人の人間が同じ願い事をしたとします。Aさんは聖天様に対する無償の愛で奉仕の心の信仰するも、Bさんは願い叶えて欲しいという下心だけで見返りの信仰すれば、聖天様が願い叶えて下さるのは、Aさんということになります。といいますか、聖天様はBさんに振り向かなくなり、それどころか、Bさんは聖天様との御縁を失うことにもなりかねないと言えるでしょう。
最後にもう一度だけ申し上げます。
聖天様に叶えて欲しい願いがあること、聖天様は百も承知に御座います。いちいち見返りを求めなくとも、奉仕の心で信仰しておれば、聖天様が願い叶えて下さいます。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。