聖天講式と言う経本があります。
その経本に書かれてある経文は言葉で言い表せないほどの有り難い聖天様(歓喜天)からの教えが説かれています。
その中でも私が大好きな聖天様(歓喜天)からの教えが幾つかあって、その中に1つを紹介したいと思います。
それは次の経文です。
「密かに以(おもんみ)れば、億々生死(おくおくしょうじ)の内、受け難きは人身。劫々流転(ごうこうるてん)の際にも、遇い難きは佛教なり。偶々(たまたま)受け難き人界の生を受け、幸いに遇い難き聖天の法に遇う。奇縁の至り感涙抑え難し」
これを初めて見た時に、自分の生い立ちに「有り難い」と心から思いました。
そんな有り難い教えを皆様と噛み締めたいと思います。
受け難きは人身
我々人間は、誰もが人間に生まれてきたことを当たり前だと思っていますが、それは大きな間違いなのです。
このよに命あるものは人間だけでは御座いません。
たまたま人間として命を授かっただけで、一歩違えば犬だったかもしれないし、猫だったかもしれないし、鳥だったかもしれないし、ネズミだったかもしれないし、ゴキブリだったかもしれないのです。
そんな数多くの命が存在する中で、ごく僅かな確率で人間として命を授かったことに、先ずは感謝するべきであり、その授かった命を大切にし、一生懸命に生き抜く必要があるのかと思います。
遇い難きは佛教なり
奇跡的な確率で人間として命を授かったことも奇跡ですが、更に世界中には数多くの宗教や無宗教の人間が存在する中で仏教と出会えたことも奇跡です。
遇い難き仏教と出遇い信心している人は、仏教と出会えたことに感謝することが大切です。
幸いに遇い難き聖天の法に遇う
ここです!
これが最高に凄いことで奇跡の中の奇跡と言える奇跡のご縁なのです。
「偶々(たまたま)受け難き人界の生を受け、幸いに遇い難き聖天の法に遇う」
たまたま人間として命を授かり、仏教と出逢ったことじたいが奇跡と言えますが、その上に逢い難き聖天様(歓喜天)に出逢ったこと、これ以上の奇跡はないでしょう。
このよに人間として生まれてきた方の中で、聖天様(歓喜天)にご縁を頂ける人間は極わずかなのです。
正しく聖天様(歓喜天)と出逢えたことが幸いであり、普通は多くの人間が聖天様(歓喜天)と出逢うい事は御座いません。
もし、あなたが聖天様(歓喜天)を信心しているとしたら、何事にも変えがたい幸を授かっているのです。
聖天様(歓喜天)への信心は人間の意志だけで出来ることでは御座いません。
あなたが聖天様(歓喜天)へ信心できるのは、聖天様(歓喜天)から、「信心せよ」とのご縁を授かっているからこそなのです。
私も、そんなご縁を授けて頂いた聖天様(歓喜天)に、心から喜びと感謝を申し上げます。
合掌
執筆者:パパ
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