ドラマや映画を見ることで、いろいろと勉強に感じることがあります。
日本や外国でも同じに存じますが、昔の時代劇など見ていると、特に「陰謀」など、ドロドロしたストーリーが多いように感じます。
そして現代よりも天を信じる人間が多かったようにも感じます。
現代であれば科学的に証明できることであっても、昔は天の意志と解釈されていたことが多かったように感じます。
現代は一部の国を除き平和ですが、昔は多くの国が戦いの国でした。
これ全て人間の欲から生まれた結果であり、国を動かす人間は強固な権力を得たいという欲望を抱き、出世したいという欲望を抱き、財産を得たいという欲望を抱き、領土を広げたいという欲望を抱き、恨み辛み憎しみ怒りを抱き、陰謀や戦争が現代よりも多く繰り返されていたようです。
多くの人間が互いに騙し合い、足を引っ張り合い、生命を奪い合いますが、その中に一際輝く神対応する人間も居ます。
率直な意見として、「素晴らしい」「偉い」と思えることがあれば、あまりの神対応に「甘い」と感じることもあります。
悪人は、敵の生命を意図も簡単に奪いますが、善人は、例え「ここは許しては駄目だろう」と思えるような場面や相手であっても、見逃し許します。
しかし、後で考え学ぶのです。
その時は、「ここは許しては駄目だろう」「甘い」と感じたことでも、「だからこそ天が味方されるのだ」と学び、「ここは許しては駄目だろう」「甘い」と感じた自分を反省するのです。
人間にとって「許す」ということは、大変難しいことに感じます。
多くの人間が、誰かを憎み、誰かを恨み、誰かに怒りを感じます。
しかし多くの人間が相手を許すこと出来ないでいること現実です。
まだまだ未熟な私ですが、特に幼く未熟な時は、誰かを恨んだり怒りを覚えたりしました。
しかし今から相手の立場を考えれば、その相手の行動や言動を理解できることがあります。
人間は如何なる出来事でも、理解さえ出来れば許すことが出来るはずです。
そうは言っても、どうしても許しがたい場合や相手が存在することありますが、出来る限り許す努力は行うべきかなと思います。
もし相手を許すことが出来ない時は、先ずは相手の立場など理解するように努力することによって、結果的に相手を許すことが出来るのかもしれません。
恨み辛み憎しみ怒りは、いずれ自分に返り身を滅ぼしますので、抱かぬ方が無難です。
それぞれの人間を見ていて思うことがあります。
悪人は、その悪事によって一時的に満足を得ますが、最終的には天が振り向かず、天に救われず、最後は滅びます。
その一方で、善人は一時的に辛く苦しい試練を天から与えられますが、常に天が味方し、最後の最後で天に救われ試練を乗り越えます。
これ全て因果応報であり、悪人に対しても善人に対しても、それぞれに応じた報いがあります。
昔から、「憎まれっ子世に憚る」とか、「正直者は馬鹿を見る」という言葉が御座いますが、最終的に因果応報の報いから逃れることは出来ず、天の意志による結末が訪れます。
聖天様が味方する人間は善人です。
聖天様が味方するのは、他人を傷付ける人間にあらず、他人を喜ばせる人間です。
そして善人は、「もう駄目だ」という最後の最後になって聖天様から救われます。
奇跡とは常に土壇場で起こるものであり、土壇場で起こるから奇跡と言うのです。
合掌
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