褒められたはずなのに、心がざらつく。そんな覚えはありませんか
私たち聖夫婦のもとには、身近な方との関わりについて、言葉にしにくいお悩みが数多く寄せられます。なかでも扱いに困るのが、確かに褒められたはずなのに、あとになって胸がざらつくというお声です。
たとえば、ある三十代の女性の相談者様は、着ている服を「安く見えないね」「そういうのが似合う人でうらやましい」と言われるたびに、笑って礼を言いながらも心が沈む、けれど褒められた以上こちらが気にしすぎなのだろうと自分を納得させてきた、と話してくださいました。文句を言えるような言い方ではない。だからこそ持って行き場がない。そんな引っかかりを抱えている方は、決して少なくないのです。
もしあなたが今、同じ重さを抱えているのなら、まずお伝えしたいことがあります。その違和感は、気のせいではありません。あなたはひねくれているのではなく、言葉の形と中身がずれていることに、正しく気づいているのです。
形が褒め言葉だと、痛みの置き場所がなくなります
はっきりとした厳しい言葉なら、傷ついたと言うことができます。周りも分かってくれます。けれど褒め言葉の形をしていると、そうはいきません。傷ついたと口にした途端、こちらが感じの悪い人になってしまうからです。
だからあなたは笑い、礼を言い、そのまま持ち帰る。そして家で一人になってから、あの言い方は何だったのだろうと考え込む。この「考え込む時間」こそが、いちばん消耗するところです。相手はもう忘れているのに、あなただけが何度も反芻することになるからです。
さらに苦しいのは、自分を疑い始めることです。気にしすぎだろうか、心が狭いのだろうか、と。けれど、繰り返し同じ相手の言葉で沈むのなら、それはあなたの器の問題ではありません。心はきちんと、そこにある温度差を感じ取っているのです。
聖天様のお言葉
「そなた、褒められて笑いながら、胸の内では首をかしげておったのう。それでよいのじゃ。言葉の形と、その奥にあるものが違うておることは、世にはようある。そなたが感じ取ったざらつきは、そなたの心が濁っておる証ではのうて、澄んでおる証じゃ。相手の心を暴こうとせず、そなたの心のほうを守ってやるのじゃ」
相手の真意を突き止めようとすると、答えの出ない詮索に時間を取られてしまいます。聖天様が「そなたの心のほうを守れ」と仰るのは、確かめようのないものを追わないためにほかなりません。
一人で抱えないための、小さな一歩
違和感を消そうとするのではなく、自分の側の扱い方を決めておくと、心は驚くほど楽になります。
「そう見える?」と、軽く返して終わらせる
問い詰める必要も、皮肉を返す必要もありません。「そう見える?」「そうかな」と軽く返し、それ以上は広げない。話題をこちらから次へ移してしまって構いません。
これは相手を負かすためではなく、その話題に長く留まらないための工夫です。深追いしないと決めておくだけで、持ち帰る量がぐっと減ります。
持ち帰る時間に、区切りをつける
どうしても頭から離れない日は、あえて考える時間を決めてしまうのも一つの手です。帰り道のあいだだけ考える、湯船に浸かっているあいだだけ考える。そして、そこで終わりにする。
これは気持ちに蓋をすることではありません。反芻がだらだらと続くと、心はその人の言葉に一日を明け渡してしまいます。区切りを置くことは、あなたの時間を取り戻す作業です。
それでも気持ちが晴れないときには
特定の相手と会ったあとに決まって落ち込む日が続くのであれば、それは距離を考えてよい合図かもしれません。関係を断つ必要はありません。会う回数を少し減らす、二人きりを避ける、そうした加減で十分なこともあります。気分の沈みが長く続くときは、第三者に話を聞いてもらう道もあります。
聖天様は、他の諸仏諸神に願っても叶わなかった願いさえ聞き届けてくださる、最後の砦とも称される神様です。誰にも説明できない小さな引っかかりを抱えてきたあなたを、聖天様は静かにご覧になっておられます。
言い返さずに帰ってきたあなたに、心が軽くなる一滴が届きますように。あなたの感じたざらつきは、心が澄んでいるからこそのものです。
聖天様に願いを託したい方へ
もし、聖天様に直接お願いごとをお伝えしたいとお思いでしたら、私たち聖夫婦が心を込めて祈祷を承っております。良き縁を招き、心をすり減らす縁をそっと遠ざける祈祷は、日々の巡りを静かに整えるものです。ご縁があればで結構です。よろしければ各種御祈祷のご案内をご覧ください。無理のない範囲で、あなたの心が少しでも軽くなることを願っております。
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