聖天様に何らかの願い事をして、その願い事が叶う方向に進んでいるという好調な時と、その願いが叶わない方向に進んでいるという不調な時と、その信心に変化が見られることが多いです。
はたして、どのように変化するのでしょうか。
皆様は、どのように変化すると思われますか?
皆様なら、どのように変化しますか?
好調な時の信心
信心とは、信仰する心を意味しますが、信じる心を意味するとも言えます。
聖天信仰の心得十二条にも『ご利益を少しも疑わず』という教えが御座います通り、聖天様に少しでも疑いあれば、願い叶い難しです。
聖天様に何かを願い、その願いが叶う、良い方向へ向かっている時は、ほぼ万人が、聖天様に対し何の疑いも抱かないと存じます。
逆に「やっぱり聖天様だ!」とか「聖天様の御利益は凄い!」など、その聖天様の御利益を疑うことは無いでしょう。
しかし、これは当たり前の話であり、肝心なのは、次の不調な時に疑うのか否かということです。
不調な時の信心
自分自身の願いが好調な時は、誰もが聖天様の御利益を疑うことないと存じますが、自分自身の願いが不調な時や、好転していたのが一転不調に陥った時、聖天様の御利益に疑いを抱く人間が出てきます。
これが、好調か不調かによって変わる、信心の変化です。
そして、その多くの場合が、『好調=信じる』であり、『不調=疑う』なのです。
本来の正しい信心
本来の正しい信心としては、好調であれ不調であれ、何ら変わらず聖天様を信じることであると言えますが、仮に変わるとしても、それは好調な時に信じ、不調な時に疑うのでは無く、好調な時に信じ、不調な時こそ更に信じるものに御座います。
もし、願いが叶う方向に進み好調なら、決して油断しないことです。
もし、願いが叶わない方向に進み不調なら、更に信心することです。
例え状況が厳しいとしても、少しも聖天様の御利益を疑わず、今できること怠らず、一生懸命に努力精進すれば、聖天様が必ず願い叶えて下さると存じます。
好調な時に信じるは当たり前、不調な時こそ信じるべきに存じます。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。