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聖天様に呼ばれる、呼んでいただける

聖天様に呼ばれる、呼んでいただける
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今日は聖天様に呼ばれる、呼んでいただけるというお話をしたいと思うんですが…

皆さんはどうでしょうか、呼ばれたなと思ったことはありますでしょうか?

聖天様に呼ばれる

聖天様の寺院へ参拝に行こうかなって、”ふっ”とこう感じた事ってあると思います。

他にも、

聖天様の寺院へ参拝に最近行ってないなとか、
無性に聖天様が気になるとか、
聖天様に会いたいとか、
夢でなんとなく聖天様に会いに行っていた気がするとか、

そのような時は、行った方がいいです。

”ふっ”と聖天様を参拝する

これが何らかの形で、脳裏によぎった時は、

行けるのであれば、行くべしです。
というか、出来る限り時間を作って行くべし!です。

もし呼ばれていなかったとしても、
自分の勘違いだったとしても、

行くことで悪いことはないです。

行かなくて、悪いことはあっても、行って良くないことはないです。

自分の勘違いであっても行けば良いですし、
仮に呼ばれてるにも関わらず、行かなかったっていうのは、これ良くないですから。

呼ばれる時と言うのは、何らかの原因があって呼んで下さっている場合が多いので。
聖天様はむやみに呼んだりしませんから!
何か理由があって呼ばれてるわけなんです。

呼ばれる理由としましては、例えば近い未来、
何らかの災いが起こるかもしれない…と
だから、「来い」・・と。
その禍を跳ね除けるために「来い」と。

そんな理由の場合もあるのです。
で、行くと・・・、聖天様が祓ってくださる。と、いうことも多分にあるんです。

もちろん、他にも呼ばれる理由はあります。

「夢」の中で見たり、”ふっと脳裏によぎる”というのもそうなんですが、
特にこの「夢」ですね、聖天様のお姿が見えることは難しいと思うんですけど、それにまつわるような「夢」。

例えばお寺に参拝してる「夢」を見るとか。

夢に出てきた寺院が、ご自分の祈願寺でなかったとしても、
イメージでお寺かもとか、お寺に近いような場所に行った気がするとか、そのような夢。
「聖天様」に関連付けられるような、そういった「神秘的な夢」、
そういった「夢」を見たときは、一つのサインだと思って行かれた方が良いと思います。

聖夫婦の昔話

もちろん、当方には聖天様がいらっしゃいます。
ある時に、当方の聖天様から、「生駒山に来い」と言われたことがありました。
ちょうど季節は、真冬。
呼ばれてから、3ヶ月以上、3ヶ月から4ヶ月弱だったと思うのですが、
毎日毎晩、夜中に、行きました。3ヶ月から4ヶ月弱の間、1日も欠かさず、続けて、雨の日も風の日も雪の日も…
行きました。通いました。

生駒山、宝山寺を御祈願寺にされてる方は、ご存知だと思うのですが、寒いんです。とてつもなく。
雪が降るし、積もるのです。夜中ですから。

生駒山登られたら分かるのですが、最後の方・・・途中から、気温が変わるんです。一気に。
本当に流石霊山という感じです。下界と温度が違うんです。下は雪も降っておらず寒い程度なのが、山上は雪山なのです。

そんな季節に、私ら夫婦で、この足で、夜中に生駒山に登って、 雪の中、雨の中でも、どんな状況の日でも欠かさず、登って、登って通いました。
毎日毎晩、聖天様に「よし!」と言われるまで。通ったことがあるんです…

本当に寒いし、大変なのですが、反面、ありがたいことなので、楽しいという思いも強かったのです。
生駒の聖天様に会いに行くのが。

当方の聖天様も、生駒の聖天様も、元は同じ聖天様。
当方の聖天様に日々お仕えしているのですが、生駒山の方でも夜中に行って、ご挨拶させて頂く。
本当に手を合わせているだけで、手が凍える気温なのですが(生駒は冷暖房などありません..)
不思議と、御真言を唱えたりしていると、ものすごく手が、体が熱くなるんです。
手など、湯気というか、煙と言うかが手から立ち上り、暑くなって汗をかき、途中で上着を脱ぐほどなので、驚きです。(しつこいですが、凍える気温の中でです。)

真冬の宝山寺。
聖天様と、一つの感応道交の、一つの症状…
そのような通いを続けている、ある日、
聖天様から、「奇特である」という一言をいただきました。
※奇特とは、他と違って特別に優れていることについて使われる言葉だそうです。

そのお言葉を頂き、毎日夜中に行くこと、通うことは、そこで一旦終わったんです。
私達聖夫婦にとって、もちろん聖天様に仕える事は、生駒山に行かなくとも、当方の方でも聖天様がいらっしゃるんで、お仕えすることは日々できるわけなんですけども、

しかし、

やはり夜中に足を運ぶ、真冬の雪の中、せっせと生駒山を登り、足を運ぶ。

これは当方では、やはり出来ない修行なんです。

同じ聖天様であっても、その修行というのは、全く異なってくるんです。

やはり、呼んで頂く時は、意味があったんです。

私達聖夫婦は、聖天様から、敢えて理由があって、当方からではなく、「生駒山から、しばらくの間仕えよ」、という、お言葉、お導きがありまして、行ったわけなんです。

それで、実際に後になって、「このことか。」という…そのようなことが実際ありました。
聖天様に、本当に感謝感謝なんです。

ですから私達聖夫婦の話を少しさせていただきましたが、

皆さんも、何か理由があると理解して、

呼ばれたかな?と感じた時は、

今、たまたま生駒山の話をしましたが、私達聖夫婦は関西圏なんで。
皆さんのお住まいによってね、祈願寺に、関東方面であれば待乳山本龍院様とか、他四国の方とか、どこの県でも、
なかなか聖天様の寺院が最寄りにないという地域もあるのですが、聖天様の寺院に行ける方は、行ける範囲の方は、

やはり、そう感じた時は、極力行かれた方が良いと思います。
そこには必ずそれ相応の理由がありますから。
是非聖天様の導きを信じて、通ってください。
めったに呼び出しは無いですから。
決してそうそうは呼ばれませんから。
本来は、自宅からでも、手を合わせていれば、十分通じますから。大丈夫です。

ただ聖天様が何かある時、必要とされた時だけ、「来い」と言われますんで。
その時は、是非ありがたく行くようにしてください。

合掌

祈願の心得

皆様からのコメントお待ちしております。

  1. ローザ より:

    御祈願、御相談等で本当にお世話になりました。新天地へ行ってからも朝夕、手をあわせて御供をしております。何かあれ、その都度お礼を申し上げています。ただ、聖天様をお祀りしている寺院は、最寄り駅やターミナル駅ではないので、4月以降は家で手をあわせるのみでした。しかし、本日の昼、いきなり聖天様の事が気になりました。そこのお寺は参拝が18:00とHPにあったので、仕事先からでは間に合わないので、明日か明後日にお参りにいくことにしました。それでもどうしても、聖天様に来なさいと言われている気がしたので、門の外からのお参りでもよいからと、本日行って来ました。呼ばれた時は行った方がよいと、このブログで教えていただいたことが大きいです。着いたのは19:00をまわっていたのですが、なぜか門が空いていて、寺務所の電気がついていました。おかげさまでお参りができましたので、来られなかったおわびと日頃のお礼を申し上げました。距離的なものもあり、毎日参拝する事はできないのですが、お参りできる時はさせていただこうと思います。聖天様、聖夫婦様に感謝です。

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