和のしきたりというとなんだか堅苦しい感じがしますが、考えればなるほどと思えることばかり。
せっかく聖天様(歓喜天)がいらっしゃる寺院に参拝させて頂くのです。
出来る限りしきたりやお作法は守り、気持ちよく拝みたいものです。
和のしきたり
和のしきたりには様々なものがありますが、聖天様(歓喜天)の拝殿においても、和のしきたりを守り、美しい所作でお詣りしたいものです。
畳のヘリは踏まない
生駒聖天など、御拝殿に畳が敷かれている所も多いと思います。
小さい頃「畳の縁は踏んじゃいけません!」って言われた方も多いと思いますが…
畳の縁を踏んじゃいけない理由
実はけっこう沢山ありますのでほんの一部ですが…
・畳の縁は「結界」
※畳の縁は「結界」と言われていて、聖地と俗地を隔てる境界線とされています。
又、身分の高い人の座る場所と一般の人が座る場所を区別する境目にあたるとも言われています。
・畳の縁から傷むので
・縁につまずき転ばぬ様に
踏んじゃいけない場所は…踏ま無いように心がけましょう。
言葉にすると当たり前なんですけどね!
もちろん敷居も同じ。
敷居には世間と家、部屋と廊下などを隔てる結界(境界のこと)の役目があります。
畳の縁と同じです。踏んではいけません。またいで下さい。
椅子に座ると失礼?
失礼に当たるものをお寺さんが用意されている訳がありません。
・足が悪い
・正座、座禅が苦手
・正座出来ないことは無いが長時間は無理
などなど、お経を唱える事をメインに考え、正座や座線で集中出来ないなら、椅子をお借りしましょう。
御供物は両手で
聖天様(歓喜天)といえばお大根に甘い物、そしてお酒!
御供物を持参された場合は、スペースが有るなら膝をついて(無いなら仕方がありません)、必ず両手で御供しましょう。
お寺では、周りに迷惑にならないよう、出来るだけ静かに御供して下さい。
ちなみに我が家では、御供物をする時、一つ一つ聖天様(歓喜天)に説明しながら御供させて頂きます。
「今日は〇〇を御供します。これは※△◇の味でかなり濃厚な感じです。聖天様(歓喜天)に気に入って頂けると嬉しいです。」みたいな感じです。
すると…気に入ったものは教えて頂けます(笑)
お賽銭は投げない
時々、お賽銭を投げる方がいらっしゃいます。
お賽銭は、聖天様(歓喜天)に願いを叶えて頂いた方なら、『お礼』の意味でしょうし、祈願ごとを叶えて頂くためなら『御供』の意味だと思います。(本来は前者が正解です)
前に聖天様(歓喜天)が鎮座されているお姿が見えたとしたら、お礼や御供する時に、あなたは、立ったまま、上からバサッとジャラジャラ音をさせて、お礼や御供を投げてお渡ししますか?
きっと、丁寧に膝をついて、両手でできるだけ音をさせないようお渡しすると思います。
どうか、皆様もそこにいらっしゃる聖天様(歓喜天)を感じて下さい。きっと、どの様に行動すればいいのか…分かるはずです。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。
御賽銭に付いてですが、御賽銭を納めるのは、礼拝の前か、後かとの疑問を感じる方も多く居られますが愚僧が同門の方より伺った内容としては、御賽銭は、謂わば参拝させて戴いた御縁に感謝の気持ちを布施の一つ財施をさせて戴くと謂う解釈から後が宜しいのでは?との事でしたが其の理由に得心出来たのでお話致します。
確かに参拝者の中には、御賽銭の金額で願いを聞いて貰おうとしている方も少なからず居ります。(チャリンコ参り)
先ず以て其の様な方は、棚ぼた信仰者ですから見返りや取引の下心が丸見えですから聞き届けて戴くのは、困難です。
御供物にしても御賽銭、財施にせよ其の基本は、布施の気持ちで有りますし聖天信仰では、聖天様に喜んで戴きたいとの心の現れ(心形一如)ですから御賽銭を先に納めるのは、取引と勘違いする事が有るから御礼申し上げ御賽銭を喜捨するのが肝要ではとの見解に思わず感嘆致した次第です。
実際は、先で有れ後で有れ心の問題ですが先の内容の様に心形一如、心を行動に現す意味では、参拝や日々の行い一つ一つ心を込めて丁寧にしたいですね。
天祥 九拝
天祥様
コメントありがとうございます。
とても良いお話ですので、出来れば沢山の方にも読んでいただきたく、
読者投稿に投稿して頂ければ幸いです♡
先で有れ後で有れ心の問題です・・・本当にそう思います(*^^*)