本日は、聖天信仰の心得十二条に記されております「お願いの叶わぬときは、未だその時期でないのか、誤った願い方をしていたか、または聖天様のお気持に反するような、お詣りの仕方をしていたからであるから、特に反省してみる必要がある」という部分に注目したいと存じます。
今までにも「功徳」など似たようなブログは、何度か記しておりますので、重複する部分はご容赦下さい。
この心得を、大枠で分類すれば「未だ時期でない・間違った信仰」という2つになります。
仮に願い叶わぬ理由が「未だ時期でない」との理由である場合は、待つしか御座いません。
しかし、仮に願い叶わぬ理由が「間違った信仰」である場合は、この先いくら続けていても願い叶わずです。
つまり、願い叶わずと感じたら、何か間違った信仰をしていないか、真摯に考え反省する必要が御座います。
聖天様(歓喜天)の意に適わぬ願意。
聖天様(歓喜天)の意に適わぬ参拝。
聖天様(歓喜天)の意に適わぬ安置。
聖天様(歓喜天)の意に適わぬ勤め。
その他にも考えられることは沢山ありますが、お枠で言えば次の2つです。
聖天様(歓喜天)の意に適わぬ意識。
聖天様(歓喜天)の意に適わぬ行動。
私は今までにも多くの方の相談を受けて来ました。
その中でも「これが最も多いかな~」と感じた、反省すべき間違いは、願いを叶える為の、自らの努力精進です。
例えば商売繁盛を願う人は多いです。
しかし同じ商売繁盛を願うも、2つの意識と行動があります。
1:仕事より信仰を重んじる人
2:信仰より仕事を重んじる人
仮に寺院へ参拝するとします。
1番の仕事より信仰を重んじる人は、仕事を怠ってでも参拝します。
また困ったことに、仕事を怠っていると気付かない人が多いです。
2番の信仰より仕事を重んじる人は、仕事に影響のない範囲内で参拝します。
結果敵に早く御利益を授かり商売繁盛の願いが叶うのは2番の人です。
仕事を怠り信仰すること本末転倒です。
信仰しながら仕事は出来ませんが、仕事中しながら信仰は出来ます。
仕事中に心中で御真言を唱えることも立派な信仰です。
願い叶わぬと感じた時こそ!
何か間違っていないか、よくよく考え、深く反省し、改善する必要が御座います。
合掌
執筆者:聖パパ
皆様からのコメントお待ちしております。
私は、常に仕事中や就寝前でもなりふり構わず御真言を唱えております。
他人が変な奴って思うでしょう(笑)
本当に藁をも掴む思いです。
必死なんです。
ただ、自分の努力が足りないから、努力して叶うように精進いたします。
必ず叶います!
何故なら叶うまで諦めず努力するからです。
合掌