この世に生まれて死ぬまで全くの善人など存在しません。
少なくとも命ある草花など踏みつけたことあるでしょう。
人間とは罪深き生き物だと言えます。
そんな人間が天に願うも、過去の懺悔なくして願い叶い難しとも言えます。
聖天様から御縁を授かりし人間の多くが、聖天様に何らかの願い事をしてると存じます。
しかしなかなか願い叶わない。
そう感じている人いませんか?
それは何かが足りないのかもしれません。
願い叶える為の本人努力が足りないのか、聖天信仰者としての精進が足りないのか、なかなか願い叶わないということには、何らかの理由があると考えることが普通です。
その理由の中にある一つの可能性が過去の懺悔です。
犯罪者を例にして考えてみましょう。
何らかの犯罪を犯し逮捕された人間がいたとします。
その人間には願い事がありました。
例えばハワイ旅行に行きたいという願いだとします。
しかし、犯罪を犯し逮捕された人間が、ハワイ旅行になど行けるはずが御座いません。
その犯罪者の願い叶い、ハワイ旅行に行く為には、少なくとも犯した罪に対し、其れ相応の償いをしなくては駄目です。
1年前も過去であり、10年前も過去であり、1秒前も同じ過去に御座います。
過去に犯した罪を償わず、欲望ばかり願っても、聖天様は振り向かれません。
この世に人間として生まれ、生きている以上は、何らかの罪を犯しています。
その罪を知るか知らずか別とし、罪があるなら懺悔反省することが大切です。
このブログを見た読者様の中で、もし「なかなか願い叶わない」と感じている人がいましたら、なぜに願い叶わないのか、何が足りないのか、いろいろ考えること必要かと存じますが、その中の一つとして、過去の懺悔を考えてみてはいかがでしょうか。
知らずと犯した罪であっても、それに気付き天に懺悔することで、運命は好転し願い叶うということ、普通に御座います。
ここ聖天様ブログ読者様におかれましては、聖天様に過去を懺悔すること推奨しますが、他の神仏様に御縁あり信仰する人は、その信仰する神仏様に対し過去を懺悔しても良いです。
ご自分で参拝し過去を懺悔しても良いですし、ご自宅に御札を祀るなら御札に過去を懺悔しても良いですし、行者の祈祷で聖天様や他の神仏様に過去懺悔しても良いです。
もちろん当方でも、聖天様に祈祷で過去懺悔すること可能です。
なかなか願い叶わない時は、願い叶わないと諦めるのではなく、どうすれば願い叶うのか、何が足りないのか、常に考え行動することで、運命は好転し願い叶うのだと存じます。
参考にして下さい。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。