聖天様は礼を重んじる神様です。といいますか、これは聖天様のみならず、全ての神仏様が礼を重んじます。
これに対し多くの人間が、聖天様に礼を尽くします。しかし、人間に対し礼を尽くせない人間が、聖天様に礼を尽くせるはずもなく、本人は礼を尽くしているつもりでも、傍から見たら無礼者である場合が御座います。
本人が無礼を承知しているなら救いもあるのですが、本人に自覚がない場合は厄介だと言えます。仮に無礼を注意したとしても、無礼者に限って気分を害し逆ギレすることが多いです。だから多くの場合は「あなた無礼だよ!」なんて、誰も教えてくれません。
しかし、自分の心ひとつで改善すること可能です。自分の無礼を治す為には、自分の無礼に気付く必要が御座います。いったいどうすれば自分の無礼に気付くことができるのでしょうか。これ単純なことです。
自分の無礼に気付かぬ人間の特徴として言えるのは、常に自分目線であるということなのです。常に自分目線だからこそ、自分の無礼に気付かないのです。自分の無礼に気付く為には、自分目線を相手目線に変える必要が御座います。
自分の言動や行動を相手目線で見た時に、自分が無礼者か否か見えてきます。素直な心で相手目線になるのです。もしそこに自分の無礼があれば、普通は気付くはずです。気付けば改善することが出来ます。
聖天様に礼を尽くすことは、誰もが承知していることに存じますが、実際に自分が聖天様に対し礼を尽くせているのか否か、聖天様目線で自分を見ることで、知ることが出来るかもしれません。
それが難しい時は、先ず人間に対して礼を尽くせているのか否か、相手目線で自分を見れば、知ることが出来るかと存じます。これでも知ることが出来ない人間は、一生知ることがないかもしれません。
もし人間に対する相手目線で、自分の無礼が見えたのなら、素直に速やかに改善するべしです。人間に対し無礼である者は、聖天様に対しても無礼者であると言えます。
当方では、日々多くの無料相談を承っておりますが、その殆どが礼を尽くされる方ばかりです。しかし、ほんの一部で無礼と言いますか、プチ無礼な人がいらっしゃることも確かです。(笑)
合掌
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