触らぬ神に祟りなし
これは神様と関わりを持たなければ余計な災いを受けることも無いという意味です。
しかし私から言えば神様から災いを受けるなど馬鹿げた話です。
災いをもたらすのは神様ではなく魔で御座います。
まぁそのことは別にして、本日は「触らぬ神に祟りなし」と言いますが、「語らぬ悪口に祟りなし」について記したいと存じます。
皆様は悪口を言ったことありますか?
ありますよね(笑)
もちろん私も過去に思い当たることが御座います(^^ゞ
人間は意識ある所に行動あり!と言われますが、そもそも悪口とは、そのような意識で生まれるのでしょうか。
相手が嫌いとか、相手に嫉妬しているとか、何れにしても悪しき意識から生まれるのが、悪口という結果です。
そして悪口は、相手に対し嫌な感情を与えるのみならず、自らに対しても不徳な行為となります。
と言いますか、相手に嫌な感情を与える時点で不徳が増すという話ですが(笑)
当ブロクでも幾度か記しております通り、天に向かって唾すれば必ず己の顔に落ちます。
よって、悪口は語らぬが賢明です。
そう言えば、聖天様(歓喜天)も、祟り神とか悪口を言われておりますが、とんでもない言動で御座います。
とは言え、この世に悪口を語る人は後を絶たず、それが世の常かとは存じますが、気が付いた人は改めるべきです。
何故なら、他人の悪口を言って損することあれど得することは何ら一切に御座いません。
人間であるが故に反りの合わない関係もあるでしょうが、仮に嫌いでも嫉妬しても批判的でも、悪口を語らず自分の胸に収めておくことが賢明です。
誰かの悪口を語り災いあれど得することは何ら一切ないことを肝に銘じ知るべきかと存じます。
合掌
執筆者:聖パパ
皆様からのコメントお待ちしております。
いつも参考になるお話をありがとうございます。
「厳しい冬が有るからこそ、春の暖かさに感謝出来る」と、聞いた事が有ります。
「寒いのは嫌だ、暑いのは嫌だと愚痴ばかり言っておると、目の前に有ることに感謝を忘れ、目の前の一輪の花の蕾さえ目に入らぬ所以、只、無意味に時を重ねてしまう。全ての事に意味が有り、良き事も悪しき事にも感謝忘れるべからす。
聖天様を信仰していると、悪しき事と感じてしまう事も有ろうかと思うがその事にも喜び、感謝すると良い」先立者から聞いた言葉です。
つい、感謝を忘れがちになる事の多い、私への教義とさせて頂きます。重ねて。有り難いお話をありがとうございます。喜び、感謝致します。
有り難いコメント頂き心から喜び感謝を致します。
このコメントで救われる読者様も多いかと存じます。
寒さ厳しい折ですがご自愛頂き今後益々の御多幸を祈念しております。
合掌