僧侶様の法話
今日は、過ちに付いてお話しましょう
では、本題の前に一言
【師曰く過ちを改めざるは、是過ちと謂う】
此の言葉を基にお話を進めてまいりましょう
人生に於いて何かと付き物なのが過ちや失敗なのですがその根本理由は、主に方法論の過ちに有りますね
これは、全てに共通する事で御座います。
以前お話したかと思いますが物事には、道理と縁が存在致しまして成功とは、其の理に従い【道理、実行、縁】実現致します。
然し、成功の為には、失敗や過ちの積み重ねに依る消去法と学習、挑戦の結果ですから失敗を恐れては、前には、進めませんし失敗したからと言って諦めては、その時点で失敗は、確定致します。
失敗や過ちは、成功へと繋がる道で有り避けては、通れない道の一つで御座います。
要するに 失敗や過ちが有ればきちんと謝り反省が肝要で反省無くして先への努力は、難しく成ります。
然し反省は、必要ですが後悔は、自分を責める事ですから避けるべき事柄です。
反省とは、方法を省みて変える事ですから俗に謂う「たられば」や「環境や他者が〇〇なら」と謂う責任転嫁では、何ら学びは、御座いません
則ち過ちや失敗とは、方向転換を促す一つのサインで有りその方法を変えなければそれこそ本当の過ちで有り失敗なのです。
又、失敗には、二通り御座いまして一つは、未知に対する失敗ともう一つは、解り切った事をしないで招く場合や回避出来る事をしないで招く失敗ですね
前者に於いては、経験としての意味が有り其処から学び改善する事で新たな智恵として蓄積されますが後者の場合は、意味が無いと言っても過言では、無く避けて通る事が望ましいですね
本題へと移りますが
もし成功を望むならば失敗を恐れず挑戦する事ですね
又失敗や過ちは、自分に非が有れば謝り改める事が肝要ですし大きな失敗や過ちの前には、必ず何かしらの前兆や他者の意見具申が有るものですから若し其の部分に気付いたり具申が有れば素直に受け止め再考の余地が有ると云う事ですね。
又、成功には、有る程度の偶然性(正確には、【縁】で御座います。)が含まれますが失敗には、必ず法則が伴うものですから其の事をきちんと学ぶ必要が有りますね。
要するに失敗は、恐れるものでは、無く学ぶもので有り又成功へと導く転換期ですから後悔より反省をしつつ変化させる事が肝要なのです。
何より忌むべきは、失敗を恐れる事より始めから可能性を否定する事なのです。
失敗や困難は、人に忍辱と変化を示し心を成長させ
改める事に依り新たな可能性と成功を生み出すのです。
謂わば可能性や出来る事をしないイソップ童話に有る「狐と葡萄」の状態では、何ら学びも進歩も無く無常の風に身を委ね馬齢を重ねるだけの人生に終ります。
多くの経典に説かれて居ますが【人身受け難く佛法に逢う更に難し】の如く今と謂う刹那は、瞬きにも似た存在に御座います。
今、皆様は、聖天様を通じて佛様の教えに逢い更に聖天様の功徳、御縁を戴いて居る訳ですから刹那を無駄にしない様日々の御精進に励んで戴きたいと存じます。
天祥 九拝
執筆者:瑞鳳天祥
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