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寺社参拝と御利益に付いて

三面大黒天様(瑞鳳天祥様)
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僧侶様の法話

執筆者:瑞鳳天祥

師走も愈々二週目を過ぎ間も無く正月事始めと成りまして寺社も年末年始の仕度が始まる時期に御座います。

さて、正月事始めと成りますと新年に向けて氏神様の霊璽や歳神様の霊璽等々を授かる為、寺社に詣でる方が増える時期に御座います。

【氏神様や歳神様の霊璽は、新年に授かるよりも年内に変え新年は、新しい霊璽で迎える事が望ましいです。尚、祈願札等は、年が改まってから授かり新しい霊璽をお祀りするタイミングは、煤払いや門松や注連縄等を飾り終えてから行います。】

霊璽等を受けるに当たり寺社に参拝する訳で御座いますが然しながら中には、観光気分で作法を知らない方や不敬な方、受ける事だけが目的で参詣する方も大勢見掛けられます。

先ず根本的なお話と成りますが寺社と謂う場所は、敷居が高い訳では、有りませんが神仏の世界への入り口と為り神聖な区域と為ります。

故に最低限の礼節は、必要ですし其の利益に与る為には、きちんとした心得も必要です。

先ず鳥居や門前での一礼から始まり手水…の作法等々を経て神仏の御前に到る訳ですが其の道すがら大声で話したり彼方此方と徘徊するのは、御法度ですね…。

何故なら主人に御挨拶もせず騒いだり徘徊するのは、失礼に当たるからで御座います。

先ずは、其の寺社に祀られて居る主へ御挨拶してから散策するのが筋で門前から本堂、本殿の道は、自分との対話の時間で有りますし自分を浄める時間ですから参道の中を静かに自分の日々の行い等々を鑑みます。

無論、参道中央は、神仏の通り路ですから基本左端を歩きますし実際、混雑する訳ですから左右の流れを認識して行動する事で流れがスムーズに成る理由も御座います。

本堂、本殿に付いたら作法に従い参拝致しますが態々正面真ん中で無くとも良いですし逆に控え目にした方が良いかも知れませんね…。

古来より【神は人の敬(うやまい)によりて威を増し 人は神の徳によりて運を添う】と言われます。

この言葉の意味は、神様に「有り難う御座います」と感謝をし、神様を尊敬する人が多いと、私たちは神様の徳によってご加護を得られるということです。

此は、仏教でも同様で【有難い】と謂う感謝の気持ちとお互いを尊重する気持ちが何より肝要です。

故に我先と他者を押し退けたり自分さえ良ければと謂う人は、漏れ無く利益の代わりに厄が戴けます。

何故なら寺社には、祓った厄が一定期間残る為、其の人の心得一つでラジオの周波数を合わせる樣に我欲の人には、厄が謙虚な人には、徳の縁が結び付きます。

故に寺社に参拝した途端厄が付いたと謂う人も居る訳で神仏の力が及ばないのでは、無く自身の心得が招いた事と成ります。

さて、参拝に関して様々なお願いをされるかと思いますが以前にもお話致して居りますが意外な事に叶わない事が多い訳で時には、「神も佛も無い等々」と愚痴を謂いたく成る方も居ますが祈願に於いても作法が有り基本的に我欲で有ったり棚ぼた式の祈願は、聞き入れて貰えません。

何故なら貴方を守護される方が其れを遮るからです。何故なら「努力もせず斯様な願いをして…実に恥ずかしい事だし御活躍戴くには、畏れ多い」と其の言霊を消し去るそうです。

しかし聞き入れて戴くには、祈願では、無く誓いを立てる事が重要で「〇〇実現の為、精進致します故に御加護を…。」の方が良いですし更には、願ずるよりも神仏の御前に詣でた事に感謝し又、御心のままに従いますとお任せする方が良いですね…。

謂わば神仏の教えに従い謙虚に利他を先とする…。

そうする事で自らの行いも変わり繋がる縁、利益も大幅に変わります。

即ち礼節を重んじ他者を尊重し配慮を欠かさず謙虚に受けとる事が一番御利益を受けやすいと謂う事です。

仏典の一節に【彼が報謝を求めず唯単えに利行を催おさるるなり愚人思わくは、利他を先とせば自らが利省かれぬべしと…】と有りますが自分を優先する人を愚人と謂れる樣に利益や功徳は、他者に向かい回し報謝を求め無い方が大きな徳として帰る訳です。

故に喩え祈願で有っても他者の幸を願う事は、聞き入れて貰えますが我儘は、聞いて貰え無いのです。

もう一つは、感謝を象にする事でお礼参りをする事です。

謂わばお願いをしながら礼の一つも無いのは、道理から外れますね…。

少なくとも参拝祈願したならば必ず如何なる結果で有っても素直に受け入れお礼参りをするのが基本です。

何故なら世の中は、縁の繋がりですから時が充ちなければ縁も繋がりませんし自分の努力が足りない場合も有ります。

其れは、其の時の神仏からの問い掛けや思し召しと捉え素直に受け止める事です。

もう一つは、信仰の基本は、氏神樣で有り祖霊を祀る寺院で有る事で氏神樣や菩提寺は、其の家や土地と深い縁が有り一番身近な存在ですからそちらを蔑ろにしては、神徳や利益に与る事は、難しく成ります。

謂わば祈願寺や祈願をして居る神社も無論の事、大切ですが同様に自身の菩提寺や氏神様も大切にする事が肝要で祈願をする寺社だけを優先するのは、些か片手落ちと成ります。

以上が主な要点ですが何より肝要な事は、謙虚に礼節を尽くす事です。

そうする事で自らの言動、意識も変わり神徳や利益に与り易く成りますし彼方此方へ渡り歩くより戴いた縁を大切に信仰心を絶やさない事が一番です。何故なら神徳や利益の光は、編まねく総てに注がれて居ますが受ける側の器が無ければ受けられません

何度かお話致して居りますが神は人の敬(うやまい)によりて威を増し 人は神の徳によりて運を添うの言葉の通り神佛は、畏れ敬い縋る人を見棄てたり分け隔てをして徳を分け与えたりは、致しませんし其の御心は、変わる事は、有りませんが変わり易いのは、徳を受ける人の心で御座います。

謂わば苦労難儀の刻は、一生懸命縋り御願い致しますし神佛が其の慈悲に於いて御祐け(おたすけ)を蒙ると先ずは、心の底から歓び御礼を致すものの「喉元過ぎれば…」で間もなく畏敬の念すら忘れてしまいます。

其の様な事では、神佛の御意志や御心は、おろか可愛い子我が子と思う親心(慈悲心)も何時まで立っても解らない儘で御座います。

謂わば祈願も大切ですが何より日々の御加護と御縁を戴いて居る事に対する【有り難い】と謂う気持ちは、如何なる時も忘れたり変わらぬ心で居たいものです。

天祥 九拝

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法話

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