読者投稿:瑞鳳天祥様
〔看脚下〕〔照顧脚下〕此の言葉は、禅語の一つで御座いますが主に禅の家風を持つ寺院の玄関に額等に飾られて居ります言葉です。
直訳致しますと「足下を看なさい」と成り転じて履物を揃えましょうの言葉に成ります。
しかし此の禅語は、其の他に深い意味が御座いますので少々お話し致します。
先ず直訳の履物を揃えましょうに関しては、「仏様の御前に向かう前に足下から整えましょう」の意味も持って居りまして身形服装を確認する事を促して居ります。
そして次は、心を整え参拝に相応しく心を落ち着け心身共に仏様に向かう為の支度の確認を促して居ります。
謂わば寺院は、世俗とは、離れた仏様との対話の場で御座いますし強いては、自身の心と向き合う場所でも御座います。
故に世俗の考え喧騒を離れ静寂且つ素直な気持ちで仏様の御前に向かいましょうと申して居ります。
何故足下かと申しますと足は、大地に一番近い部分ですから躰を支える基点と成ります。
謂わば建物で謂う基礎と成りますが建物に於いても基礎が不出来ですと如何に建物が立派で堅牢でも傾いてしまいます。
同様に自身の躰を支える足下を疎かにしていると足元から掬われてしまいます。
因みに洋服の仕立て屋さんや接客業のプロの方は、一番最初にお客様の靴を見るそうですし履物を脱ぐ場所では、履物の扱いや靴下等を観察して其の客の品位を確かめるそうです。
要するに目の届きにくい場所だからこそ其の人の本質が見えるとの事です。
同様に心も同じ事が言えますね・・・。
元気と謂う言葉が御座いますが此の元気とは、心身が中心に整って居る事を意味し仏教の根本思想、〔中道〕とも同義と言えるかと存じます。
則ち心身が偏ると歪みが生じますから病に陥ります此を養生、薬を用いて元の正しい位置へ整える事で元気に成ります。
故に足元から今一度、確認をして其の場所に相応しいかと問うて居りますし心に於いても同様に問うて居ります。
もう一つの意味は、自身の中心を整え保つ事が肝要と申しましたが更には、今現在と謂う刹那を大切にしなさいと諭して居ります。
刻の流れは、過去、現在、未来の流れを持ちますが現代は、様々な理由から現在が疎かに成りがちですし心に於いても忙しいと言って自身の心と向き合う機会が減少して居ります。
此の〔忙〕とは、心を亡くすると書き無常の風に心が揺蕩う状態です。
まさに食事にしても何をする時も其の事柄とは、無関係の事を考え則ち心を亡くした状態で御座います。
禅の家風は、生活の全てが修行で有りますし其の事柄に成り切る事が求められます。
其の理由は、「心は、形を求め、形は、心を進める・・・。」の心形一如と申し如何なる所作も心が無ければ儀礼に過ぎずされど見えぬ心故に心を形と謂う所作に現し心を伝え向上するとされ禅の生活では、起床から就寝方法に至る迄細かい所作が御座います。
其れは、心を整えだけでは、無く喰う、寝る、座る全てに於いて心を込め刹那を丁寧に生きる事と成ります。
則ち今を足元に喩えて今と謂う刹那を看なさいと諭して居ります。
現代は、何かと心を亡くし易い環境では、御座いますが少なくとも寺院参拝の折には、此の言葉を思い出され心身を整え御心安らかに参拝され延いては、日常生活に於いても刹那を大切に為される事が肝要かと存じます。
天祥 九拝
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