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お袈裟のお話

海と太陽
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僧侶様の法話

今日は、袈裟に付いて講釈致そうかと思います。

さて、遍路に出る際、必ず揃える物の中に、輪袈裟(わげさ)と呼ばれる袈裟が御座います。

又、各宗門徒の方や熱心な信者樣に置かれましては、菩提寺から何かの記念に戴いたり寺院に依っては、五重相伝、受戒会等の正式な佛弟子と成る法要に於いて血脈、戒名と共に絡子や輪袈裟(半袈裟)が授けられる場合も御座います。

往々にして四国遍路の場合は、その輪袈裟に刺繍で「四国八十八寺・・」や観音卅三札所では、「南無観世音菩薩」や「観世音霊場卅三札所巡礼」等の文字が入って居る物も御座いまして一言に輪袈裟と申しましても様々なな種類が御座います。

実際にある札所の寺院では、【念珠と袈裟を被着して居ない者は、参拝者と見なさない。】と謂う張り紙をして居る寺院も御座いまして謂わば数珠と袈裟を被着して居なければ喩え一般的な正装で有っても御朱印の授与等は、しないと申しまして大変厳しく厳格お寺の様で御座います。

然し【輪袈裟や袈裟の被着は、佛弟子の正装】で有ると申しますのは、愚僧自身も師僧より幾度も指導を受け葬儀社の中には、「葬儀用輪袈裟」を被着すれば、平服でも葬儀等の仏事に失礼に成らない説明する所も有るそうで御座います。

それでは、袈裟・輪袈裟とは、一体どの樣なものでしょうか?

御釈迦樣は一枚の衣で六年間も苦行された際、悟りを開かれた時には、継ぎ接ぎだらけの襤褸々の衣で御座いました。

其の縁起から釈尊の衣(袈裟)を被着する事は、如来の心(慈悲)を身に纏う事になる訳で御座います。

袈裟は、何枚もの布切れを縫い合わせて作りまして其の縫い合わせた形が田んぼに似ている所から【福田衣】とも呼ばれ、此れを身につけると大きな功徳があると謂うので【功徳衣】とも呼ばれて居ります。

袈裟は仏道修行の象徴であり、袈裟を身に着ける事は仏弟子の証しで御座います。
其の為、日々の勤行や坐禅をする時には、袈裟を着ける事に為って居ります。

袈裟は当初、糞の様に捨てられた襤褸布を繋ぎ合わせて作った所から糞掃衣とも申します。

現在、日本で使われて居る袈裟は、新品の布で作りますが、此の名残り態々小片にした布を継ぎ合わせて作ります。

糞掃(ふんぞう)とは、掃き溜めと謂う意味で即ち要らなく成って捨てられた襤褸を指します。

襤褸布を拾って、丈夫そうな所を切り取り、綺麗に洗って、更に縫い合わせて袈裟にするのです。
要らなく成った物を生かして活用して作られた袈裟が、仏法においては一番価値の有る袈裟と成るので御座います。

因みに基本的な袈裟の種類は、以下の通りと為ります。

■七条袈裟

別称、【如法衣】「法の如くの衣」と書く樣に最も戒律に因んだお袈裟です。

七条袈裟で香色或いは木蘭色で作られています。

■五条(大衣)

意味は、小布を数枚、繋いだ縦一列を一条と数え七条は七列、五条は五列と成り肩紐部分は威儀(いぎ)と謂います。

大衣は九枚若しくは、廿五枚の布片で作るところから【九条衣】(九条袈裟)とも申しますが
基本上衣は【七条衣】(七条袈裟)中衣は【五条衣】(五条袈裟)と称します。

■折五条

五条衣を細長く折り畳んだものです。畳袈裟(たたみげさ)折袈裟とも申します。
実際には五条衣そのものを折り畳む事は、出来無いので、畳んでは有りますが表面だけ確りした生地で、中は薄手の生地になって居りまして日蓮宗系統では此の袈裟を左肩から襷の様に掛ける独特な使い方を致します。

■輪袈裟 (わげさ)

折五条を簡略化したもので生地を畳まずに一つの輪に仕立てて有ります。

■半袈裟 (はんげさ)
輪袈裟をさらに略したもので輪を半分にして紐で連結したものと成ります。

俗に輪袈裟といえば、此の半袈裟を輪袈裟と申します。

半袈裟や輪袈裟、絡子に関しては、宗派別に宗紋が付くものや記念品では、寺院名が付くものも有りますし一般向けとして宗紋の付かない無印の物や般若心經を刺繍した物も御座います。

以上が袈裟の基本的な形で何処の宗派樣でも大体使われるものですし宗紋の入った輪袈裟(半袈裟)や絡子で有っても各宗派樣の本連の数珠(百八連)同樣、諸宗派の法要や葬儀等に着用しても何ら問題は、有りませんし逆に持って居るならば宗派に関わらず被着して出席為さるのが望ましいとも言われます。

因みに天台宗や真言宗では袈裟の中に仏樣の種子を入れて仕立てます。
そこで形は輪袈裟でも【種子袈裟】や【呪字袈裟】と呼ぶ事も有ります。

■威儀細 (いぎぼそ)
浄土宗系統で使われる袈裟で、エプロンの樣な形をしています。

■絡子 (らくす)

威儀細に似た形で、片方に輪【絡子環】を付けた袈裟です。禅宗系統で使われ居り作務を重視する中国の禅宗では、袈裟を着けていては邪魔に成って仕事に成ら無いので、絡子と謂う前掛けのような物が作られた経緯が御座います。

さて、袈裟の語源はサンスクリット語のカーシャーヤで、濁った壊色と謂う意味です。印度の僧団では、法衣の色を此の壊色に定めた為、仏教者が着る服、法衣そのものを「袈裟」と言うように成りました。

日本に限らず、大きな袈裟を着けて居ます。此れは御釈迦樣が何も衣服に付いての欲望を制する為に一般の人々が顧みない布を使用した物と言われて居ります。
そして輪袈裟の起源は、以下の通りですが、僧侶が身に付ける袈裟の略式と言われて居り袈裟を折り畳んで首に掛けたのが始まりと言われて居り輪袈裟と半袈裟の区別も宗旨宗派によって諸説が有ります。

然し何も一般檀信徒の皆様が仏樣を礼拝する折に身に着ける【正装】と謂う事には共通して居る樣です。

此の輪袈裟は、形状に2種あり、畳輪袈裟と言って一枚の大きな布を幅6cmほどに折り畳んで輪にしたものと、略輪袈裟と言って表生地を二つ折りにしたものとが有ります。

半袈裟の由来をお話すると抑、インドの気候には、雨期と乾期の二つの季節があります。雨期には、大切な袈裟(三衣)を路地の泥水で汚さない為に細かく畳んで輪の樣に結び、此れを首に掛けて歩いて居りました。
つまり便宜上の風習だったのですが、此の形式が中国・日本に迄伝わると、略儀の袈裟として考案され、特に半袈裟として用いられる樣に成ったのです。

今では、一般在家の方が被着する袈裟と成りましたが袈裟の大きさは異なっても、半袈裟を頂くことは、タイや日本のお坊さんが大きな袈裟を身に纏うことと一緒で有り其の意義に違いは御座いません仏教徒の標識・シンボルと云うは、此の為なのです。

実は昔から袈裟の大きさと形には一定の決まりが有りインドでは三衣(大衣・中衣・小衣)という三種類の袈裟・衣服を、仏教修行者の必需品(服)として居ました。

其の製法は沢山の布片を、決められた数だけ継ぎ合わせ、身体を包み込む程の大きさの一枚の布に仕立てたもので此の様式は特にタイの僧侶の姿を思い浮かべて頂くと解るでしょう。

然し、日本の場合は多少性格が異なり仏教が熱帯気候のインドから中国・日本に伝わると、寒さを防ぐために少しずつ変化し、実に様々な様式が出来ました。

此の半袈裟も多様化した袈裟の一つで御座います。

さてお話が逸れますが修行僧(雲水)の持物の基本は、「三衣一鉢」(さんねいっぱつ)修行場は、座して半畳、寝て一畳有れば充分」と謂われ其れ以上は、不要とされます。

此の「一鉢」とは、托鉢等で用いられる「応量器(持鉢)」の事です。

「座して半畳…」とは、畳を意味して居り僧堂に於て雲水に与えられる一畳分の修行スペースを意味し【単】と呼ばれ僧堂生活の中心と為ります。

さて三衣の説明へ移りますが仏弟子は三枚の袈裟を持ちます。それは安陀会(あんだえ)・鬱多羅僧(うったらそう)・僧伽梨(そぎゃり)の三種類です。この三枚の袈裟のことを三衣(さんね)と言います。

インドでは、どんなに寒い日でも此の三枚が有れば充分堪える事が出来ると謂う事で、インドの気候より生まれた三枚の布の数なのです。

御釈迦さまが悟りを開かれた時は、袈裟と謂うものは身に付けて居られませんでした。
然し仏弟子とバラモンや一般の人が見間違えられる事も屡々有ると謂う事で其れが元で仏弟子専用の袈裟が考えられる樣に成りました。

印度の服装は一般的に現在とほぼ変らないもので、右肩を肌脱ぎ、大きな四角の布をぐるぐると体に巻きつけて居りました。

御釈迦樣が悟りを開かれた後、一般の人達と異なった衣服が必要と成り袈裟と謂うものが生まれました。

三衣の詳細としては、

【大衣、上衣】

Sanghari僧伽梨(そぎゃり)→晴れ着 最上着又は防寒着

【中衣】

Uttarasanga鬱多羅僧(うったらそう)→普段着

【下衣】

Antaravasara 安恒羅婆裟、安陀会(あんだえ)→仕事着、下着と為ります。

要するに、一枚の布を幾枚かの布片に切断して、更にこれを縫い合わせて此れを衣服にする。
(一度切断されたものは誰も欲しがりません。盗難にも遭わないし、同時に人間の思惑をも断ち切るという意味が有ります。)

因みに袈裟の縫い方は、必ず返し針で縫います。

其の昔、真縫いにして居た仏弟子の袈裟の縫い糸が引っ張ってほどかれて、大勢の前で恥をかかされたと謂う事が有りました。

其れ以降、必ず返し針にするように定められたそうです。

後に三衣はだんだん、形式化され、儀式用の法衣の名称となり、更に極彩色を施した華美な袈裟も現れてきました。

安陀会・鬱多羅僧・僧伽梨は、各々に形を変えて行き、金襴等を使って華麗なものに変形して行き樣々な袈裟へと変化を遂げ現在の袈裟の形に成りました。

附随して布施とは、要するに門徒さんや信徒さんが僧侶に喜捨(食や財を施す)を意味しますが此れも袈裟と関係が御座います。

元々僧侶は、お釈迦樣の教えを説いて悩める人逹に仏の教えを説き、生きる為の智慧や正しい生き方をする方法を授けて居た訳ですが基本的に僧侶は、衣食を人々の施しによって賄って居ました。

僧侶は、仏の法を人々に施す代わりに財を施して戴く是を托鉢と言って、鉢を手に、町を歩いて人々に施しを頂戴する事に由来し乞食(こつじき)と言います。
ある日の事。お釈迦樣は、何時もの樣に説法をして各家々を廻っていた時ある貧しい家で、「大変良いお話を聞き、生きる希望が湧いて来ました。然しながら御覧の通り、私の家は貧乏で、差上げる物は何一つ有りません。差し上げられる物と謂えば、赤ん坊のおしめに使っている此の布位です。此の樣な物でも良けれれば・・・」

お釈迦樣は、有難く其の糞に汚れて、洗っては有るものの、黄色く成って居る布を頂戴しました。

御釈迦樣は、御弟子さんと共に其の布を寄せ集め、継ぎ接ぎだらけの着衣を作り着たのです。

此れが、お袈裟の起源で袈裟は、よく見ると、小さな布を継ぎ接ぎして出来て居ます。

布施とは「布を施す」と書き現在も印度やチベットでは、最上の布施として白い綺羅(薄布)をお布施します。

又、袈裟のもう一つの逸話は、釈尊の説法に依って深く仏教に帰依した舎衛国の波斯匿王が、あるとき馬に乗って道を通って居ると、向こうの方から仏弟子が来るのに会ったそうです。

そこで、馬から下りて丁寧に其の仏弟子に御辞儀をすると、仏弟子と思った其の人はバラモン僧で其処で、仏弟子とそうでない人との区別が一目で分かる樣に成らないものかと、御釈迦樣の許を訪れ服制を定められる樣お願いしました。

すると、御釈迦樣は、傍にいた阿難尊者を省みながら、水田を指差し「あの樣にしたら良かろう」と言われたそうです。

阿難尊者は、灌漑水田の大事なことは、良く分かって居ますし師の謂われた事ですから其の通りに布を継ぎ接ぎ衣を造りました。

是がお袈裟のもう一つ由来で有りまして、故にお袈裟のことを福田衣とも水田衣とも申します。

此れがお袈裟の由来に御座いまして最期に袈裟を被着する際の偈文を以て本日の講釈を終えたいと思います。

【袈裟頂戴之偈】
「大哉解脱服 無相福田衣 被奉如來教 廣度諸衆生」

天祥 九拝

執筆者:瑞鳳天祥

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法話

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