僧侶様の法話
本日は、【しょっちゅう】に付いてお話致したいと思います。
さて此のしょっちゅうと申します言葉は、一般教養としては、往々にして「〇〇は、しょっちゅう〇〇して…。」等と諌めたり余り良い意味合いでは、用いられ無い言葉に御座います。
然しながら本来の意味は、諸説御座いますが一つには、お釈迦樣の説法方法に縁起が御座いましてお釈迦が説法をされる際、【初め善く、中宜しく、終り善し】と申され通り説法の際は、終始一貫して善く法を説くべしと謂われて居ります。
此の初、中、後(終)の流れの言葉が時代の流れと共に初中(しょちゅう)が「しょっちゅう」に変化したそうで御座います。
更に「しょっちゅう」の類儀語に「四六時中」と申します言葉が御座いますが此の言葉は、時間の概念が御座います。
講釈の前に仏教に於ける時間の概念に関してお話を致します。
仏教に於いては、御経を含め時間に関して様々な表現がされて居り諸説ありますが、仏教発祥の印度では最も短い時間の単位を【刹那】として表現し現在の時間概念を含めると以下の通りと成ります。
【刹那・せつな】→《0.013秒》
百廿刹那 = 【一怛刹那・たせつな】→《1.6秒》
六十怛刹那 = 【一臘縛・ろうばく】→《96秒》
卅臘縛 =【一牟呼栗多 むこりった】→《48分》
五牟呼栗多 =【一時】→《4時間》
六時 =【一昼夜】→【 24 時間】
以上の表現と成りますが此の最後の【六時】が四六時中の言葉と関係致しまして印度より仏教が伝来して以来、仏教では一日を六つに区切って、各々の時に礼拝が行われて来ました。
此れを【六時勤行】若しくは、【六時礼賛】と申します。
詳しくお話致しますと添付画像の通り【一昼夜】を昼と夜に分け更に昼を晨朝(じんじょう)・日中(にっちゅう)・日没(にちもつ)・
夜を初夜(しょや)・中夜(ちゅうや)・後夜(ごや)の六つに分けたものと成ります。
此の時刻ごとに念仏や読経などの勤行を致した訳で御座いますが【四六時中】との関係とは、四六時中と表現致したのは、明治以降のお話で陰暦から太陽暦へと変わった事に縁起を持ちまして上記の時間概念の頃は、【二六時中】と表現して居りました。
要するに昼夜の二時と細分化された六時で二六時と表現され掛け算を致しますと丁度、12時間と成ります。
同様の事から時間の概念が24時と成った為、4×6=24時間→【四六時中】と成った訳で御座います。
尚、先の二六時の表現の他に深夜(後夜)や夜の時(中夜)を除いた、三時念仏や三時座禅、初夜を含めた四時座禅等も御座いまして現在でも修行道場でも行われて居ります行の一つに御座います。
些か蛇足では、御座いますが此の四六時中の四時に関しては、算学上の理由で他には、明確な意味合いが御座いませんが敢えて仏教的意味合いを持たせるならば【行、住座、臥】と申します言葉が当て填まるかと思います。
此の【行住座臥】とは、日常の立ち居振る舞いを意味致しまして「行」は歩く事、「住」は留まる事、「坐」は座る(座禅や観想)「臥」は寝る事を意味致しまして仏教では此れを【四威儀】と申しまして日常修行の基本を意味致します。
要するに昼夜六時と日常を意味致します四威儀の二つの意味を以て四六時中とすれば相応の意味合いを持つかと思います。
要するに【しょっちゅう】は、初めから終りに至る迄善く有り、四六時中は、御早うから御休み迄一貫して気を抜く事無く精進を欠かさない様にとの指針の一つに御座います。
天祥 九拝
執筆者:瑞鳳天祥
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