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供養とは

観音様僧侶様の法話
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僧侶様の法話

本日は、供養に付いてお話致したいと思います…。

先ず皆樣が供養と申しまして思い付くのは、寺院での法要や日々御仏壇に手を合わせる事を想像されると思いますが供養とは、一体如何なる意味が有ってどの樣にすれば良いのでしょうか?

先ず供養と申しますのは、祈りの一つとも申せますし又、生者、物故者に関わらず自身の力の及ぶ範囲で供え養う事と成り謂わば布施の意味も含まれます。

さて今回は、祖霊供養の基本と申しましょうか回向根本と為るのは、謂わば【心形一如】供養を為さる方の気持ちが一番、重要と為るので御座います。

要するに故人や物故者や信心を為されて居る神佛への祈りは、全てに於て心の動きが祈りの所作と為り儀式化したもので御座います。

故に心の動きの無い供養や法要は、単なる儀礼に過ぎませんし自己満足に過ぎません

【貧者の一灯】の逸話の如く見た目や量に関わらず其の行いの中に何れだけの気持ちが有るかに依って供養の功徳も変わります。

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極端な話し難しいお経を無理に覚えたり所作に囚われる事よりも出来る範囲で祈り供養を為さる事が重要です。

では、お経や様々な所作は、不要なの?と謂う疑問が出ると思いますが答えは、否と為ります。

お経は、葬儀や法要のBGMでは、有りませんし単なる漢字の羅列でも有りません

御経は、御佛の教えを書いたもので故人や遺族の方又、生けとし生ける者に対して説かれた智慧や賛美の言葉で有りますから読み其の意味を理解、体得、体解する事でより良く生きる為の指針と為ります。

其の他に関しては、各々に意味が有りますが難しく為るので割愛致しますが

全ての基本は、何より心が大切で有ります。

謂わば【心の象が所作と成り所作の一つ一つが相手に対して伝える方法なのです。】

其の旨の御理解を戴き日々の供養の参考にして戴ければ幸いです。

同様に供養の一つに些か特殊と申しますかデリケートな内容と致しまして水子(すいし)供養に纏わるお話が御座います。

巷でよく聞く話が「水子の障りや寂しがって兄弟に障るから手厚い供養云々」等のさも腫れ物を触るが如くに謂う人や不幸が有ると水子の障りなど悪者扱いする輩が実に多く見られます。

では、水子の障りは、事実かと謂うと答えは、否と為ります。

確かに全否定は、しませんが其は、余程の理由が有っての事で基本的には、有り得ない話なのです。

其の理由は、水子や嬰児の御霊は、限り無く純粋で世俗の垢や穢れに染まって居ない事が第一と為り第二に無欲故に涅槃への道程が早い理由が有ります。

では、先の理論は、何処から?の疑問に為りますが其は、1970年代の霊感商法に端を発し真しやかに拡がった訳です。

早い話がデリケートな部分を突いて信者獲得や石仏を売り付ける為の常套句だった訳です。

今でも不敬な輩は、其の常套句を用いますし大概過去帳を調べれば該当する内容ですね。

理由は、医療が現在のように発達して居らず飢饉等樣々な理由が有ります。

故に其の常套句を用い不安を煽り…と成る訳で基本的には、有り得ない話ですから耳を貸す必要は、無いのです。

しかし水子供養は、江戸時代より有りましたし地蔵、観音信仰の拡がりと共に各寺院に祀られる樣に成ったのは、事実ですが先の理由とは、全く別次元のお話です。

さて先のお話の続きと為りますが水子供養の始まりに付いては、江戸時代中期、浄土宗の僧侶が遊女達(吉原)の為に始めた事が切っ掛けで各宗門に拡がり現在に至りますが

水子供養の本質をお話すると其の意味とは、水子の御霊を御佛の慈悲に委ね又、縁有って宿った命を其の慈悲により再び其の親と繋ぐ為のもので御座います。

又、其の親の懺悔(さんげ)や願いを御佛に伝え親の子に対する執着を解き又心のケアの為の祈りなのです。

即ち親の哀しみに因る水子への執着を解き御佛の慈悲に委ねる事が肝要なのです。

故に門徒さんや信仰を為されて居る方は、菩提寺や信仰されて居る寺院で構いませんし特別な作法は、必要無いのです。

先にもお話し致しましたが供養の本質は、心です。

故に水子に対しても同様に出来る範囲で祈る事が肝要で哀れ不憫と嘆くのは、四十九日迄、後は、再び宿る命を迎える為に場を整え其の縁を授かる樣祈る事が何よりの供養なのです。

即ち物故者の為の祈りは、現世の執着を断ち涅槃に至る為で有り又、日々の感謝や自身と祖霊との繋がりや自分と向き合う為で有ります。

更に水子への祈りは、各々状況は、違うと思いますが基本は、親としての愛情を伝え又、再び其の縁が繋がる事を願い又場を整え愛情を育む為の祈りと為ります。

再び申し上げるますが全ての基本は、心で有ります。心無き供養や祈りは、意味は、有りません

又、愛別離苦の哀しみは、身を貫く程の苦しみですが執着し嘆くよりも心からの祈りを捧げ出来る範囲で出来る事をする事が何よりの供養なのです。

謂わば供養とは、回向を以て物故者に対して善徳を廻し養い更には、其の行い同様に自身の心を養う事で御座います。

天祥 九拝

執筆者:瑞鳳天祥

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