僧侶様の法話
本日は、御利益に付いてお話致したいと思います。
皆様に置かれましては、聖天様を信仰為されて居る方や其の他諸仏諸天を信仰される等様々な方がいらっしゃいます。
往々にして信仰をするに当たっての理由として理由の一つには、御利益を戴きたいと謂う事が御座います。
さて此の御利益を戴くに関しましては、以前よりお話致して居ります通り神仏の慈悲に縋り信じて疑う事無く功徳を積み自身の努力が必要な事は、御承知の通りで御座います。
然しながら自身の努力も参拝等もして居るにも関わらず未だ結果を得られ無かったり報われず嘆く方も少なからず居られます。
其の様な方々の共通した理由が主に三つ挙げられ言い換えれば其の要点を押さえる事で願意成就の近道とも言える内容かと思います。
其の要点とは
弌、未だ其の刻に至って居ない
弐、神仏の教えに従って居ない
三、自己中心的な願い事で有る
以上の三つが主に挙げられまして詳細にお話致しますと
弌の【其の時では、無い】は、言葉の通り物事は、縁と刻、場所等が複雑に絡む為、何れかが揃わなくても実現致しません故に努力、信心を重ねつつも至らない部分が無いか其の利益を受けるに相応しい環境、心、行動等に今一度、目を向ける必要が有ります。
謂わば自身の環境等が調って居なければ折角戴いても無駄にするか其のチャンスを活かせないが故の事に御座います。
弐の【神仏の教え等に従わ無い】は、謂わば御利益信仰や棚ぼた信仰では、御利益は、戴け無いと謂う事で仏教に限らず神仏の誓願は、大衆を漏れ無く救う事ですから喩え御利益を切っ掛けとして信仰を始めたとしても其の先に有る大衆を救う為の教えを説かれて居る訳ですから其の教えを聞かず御利益ばかりを願うだけでは、願い叶わずですし神仏の御意志、誓願に叛く事ですから神仏に其の言霊が届く前に祖霊が打ち消します。
謂わば御利益は、神仏の願い【大衆を救う事】ですし又、其の先に有る悟りの世界へと誘って居る訳ですから其の流れに反する行いや心では、如何に信心精進しても結果は、同じで御座います。
三の【自己中心的な願い事】ですが先の理由を踏まえると神仏の誓願は、漏れ無く救う事ですから願いを叶えるに当たって願意成就した際の周囲の影響や其の結果に対する願主の心の変化を御覧に成り御利益を与えます。
謂わば周囲に悪影響を及ぼす様な願意は、元より願意成就した後の願主の周囲に対する接し方や願主の器(心や器量等)を踏まえ時に問い掛け時に願意成就に近付く流れを創り願主の器量心を御覧に成り御利益を与えます。
有る僧侶の方のお話ですが願主様の祈願をする際(特に別座)、其の内容に縁が有り願主様自身に相応の器量と徳が有る場合は、祈願の読経所作真言に至る迄スムーズに行われるそうですが業が深かったり身分不相応の内容や願主様自身に何かしらの問題が有る場合は、読経等も挙げ辛いそうです。
謂わば未だ御利益を戴け無いと申します事は、何かしらの障害が有る訳ですから願意叶わずの方は、今一度、見直しを徳を戴いて居る方は、上記を参考に更に精進を重ねて戴きたいと存じます。
天祥 九拝
執筆者:瑞鳳天祥
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