僧侶様の法話
さて、本日は、戒名に付いてお話をして見ましょう…。
一般の方は、戒名と聞くと葬儀の際に戴く彼の世への切符の樣な捉え方をされて居り生前に戴くのは、特別な場合と思われて居るのが実状で御座います。
此の戒名とは、何で有るかと言うと要するにお釈迦樣の弟子と成った証の名前でクリスチャンの洗礼名と同義と成ります。
最近、衢では、自分で戒名を付ける事が流行って居るらしく様々な書籍が販売されたり【雲黒斎居士】等と勝手に名乗る方も居ますが根本的には、誤りで有ります。
何故なら戒名は、本来、生前に戒を授かり其の証として戒名を戴く訳ですから雅号なら未だしも戒名では、有りませんし亡くなってからでは、些か遅くも有ります。(来世では、其の徳は、付きますが…)
さて先より戒と申して居りますが仏教では、戒律と言う言葉が有りますが以前お話した通り【戒】と【律】の双方合わせての言葉で戒と律では、性質上違いが御座います。
お浚い程度に簡単に説明致しますと【戒】とは、簡単に言うと遵守すべき事柄で破ったからと言って厳罰は、有りませんが【律】は、規則で有り破れば厳しい罰則が伴い場合に因って破門も余儀無くされます。
要約すると出家者は、此の戒と律を守る事を誓う訳ですが在家の人には、難しいので戒を保つ(遵守する)事を誓い弟子入りを願い門徒として仏弟子としての生活を送ります。
在家が保つべき戒とは、何で有るかと言うと十六の戒に纏められて居り菩薩戒とも申しますが仔細は、別の機会にお話します。
要約するとより良く生きる為の智恵が戒の内容でお釈迦樣の代から途切れる事無く伝えられて居り曹洞宗樣では、「受戒会」浄土宗樣では、「五重相伝」真宗樣では、「帰敬式」等、他の宗門でも同様に儀式が行われて居ります。
要するに出家得度の儀式の在家版と考えて戴くか基督教の洗礼の儀式の樣なもので御座います。
さて、先の事を踏まえると戒名が生前に戴くべき事が御理解戴けたと思いますし勝手に名乗っても意味の無い事がお解り戴けたかと思います。
即ち戒とは、仏教徒としての躾の一つで遵守する事でより良く生きる事が出来、又幸せな生活を送る為の第一歩と成る訳で戒名は、命名に等しく仏樣の子としての名前と為ります。
故に勝手に付けたりしても何を戒とすべきか解らなければ単なるファーストネームに過ぎません
では、如何にして戒名を戴くかですが此は、宗派毎で差異が有る為、参考に門徒樣に僧侶に準じた戒を授ける儀式を考案したとされる曹洞宗門の例を挙げてお話致しましょう…。
曹洞宗では、両本山(福井県永平寺、横浜鶴見總持寺)に於て、年に一度、4月に日程をずらして受戒会の法要が七日間掛けて行われ其の法要の最後に戒名と血脈と呼ばれるお釈迦樣からの教えの系図(弟子の系譜)を戴きます。
勿論、其の系図の末尾には、受戒された方の名前が記され其の系図の流れは、再びお釈迦樣に繋がります。
此を正戒と申しまして両本山の二大法要の一つで大変重要な法要と為ります。
次には、多忙な方を対象にした日数を短縮した法脈会が有りますが此は、別院や地方の寺院で営まれます。
更に其れも無理な方は、戒名を授かる縁を戴ける樣に戒名を記さない血脈を戴く因脈会が有ります。
又、正戒、法脈会に参加される方で亡くなった方への追善供養の意を持つ亡戒も授かる事が出来ます。
さて、内容ですが此は、極秘中の極秘で謂わば奥義の伝承なので詳しくは、お話出来ませんがほんの一寸、正戒の内容を明かすと一週間を通して自分の罪を謝り又、戒の意味を詳しく教えて戴き最終日には、幻想的な空間の中、産まれ変わりの儀式の後に大僧正自ら弟子と成る門徒さんに血脈と戒名を授けます。
謂わば最終日に戒を守る事を誓い其の際に諸戒、戒名、血脈を戴く訳ですが戴いた後は、仏と同じ位に入った事が宣言され翌日、師で有る大僧正樣へ御山を降り生活するお願いをして終了と為ります。
要するに本山に於いて一週間、僧侶の生活に準じた生活を送り仏弟子としての心構えを学ぶ事と成ります。
此の生前戒を戴くに当たって申し込みや詳しい内容は、宗派で違いが有りますし本山以外の日程は、各々に違いが有る為、御興味の有る方は、菩提寺樣へ御相談為さると宜しいかと思いますし戒を授かる御縁の切っ掛けに成れば幸いです。
尚、此の受戒会は、僧侶の出家得度に準じたもので在家で有るに関わらず仏弟子の授かる戒と道号と名前(安名)を戴く訳で御座いますから此の安名は、皆様御存知の僧侶の名前と同じ形で決められ例えば其のまま出家した場合は、師僧より受戒で戴いた安名を其のまま用いる場合も御座いますし亡くなった場合も同様に其の安名に位号が付いて送られます。
長々とお話して参りましたがもう一度、重要な事をお話すると戒名は、生前が本筋で勝手に付けたり名乗る事は、認められませんが菩提寺樣に御相談して戒を授かる際に自分の好きな文字等は、入れる事は、可能で有ると言う事ですね
さて先よりお話して居ります戒とは、本質的には、何で有るかと言いますと戒とは、即ち躾の一つでより良く生きる為の指針と謂えるかと思います。
例えば彼の有名な西遊記の「八戒」もそうですが彼の名前は、所謂戒名で有りまして師僧で有る三蔵法師に弟子入りした際に八つの戒を守るとの約束により安名(戒名)を八戒と成った訳ですが…。
先ず戒(十六条菩薩戒)を受ける前には、必ず懺悔が必要ですが其れは、過去にお話して居るので割愛致します。
少し触り程度にお話致しますと菩薩戒の最初と謂える部分は、先ず初めに基本と成る三つの戒を授かります。
其の戒とは、「南無帰依佛」、「南無帰依法」、「南無帰依僧」の三つと為ります。
南無帰依とは、要するに最上の礼を以て敬い大切にする意味で佛、法、僧は、三寳と言い迚大切なものと為ります。
では、詳細に説明すると【帰依佛】とは、佛樣の事ですが佛樣と言っても仏像や仏画、その他御本尊だけでは、無く其の本質は、【全ての命】を意味します。
謂わば、日々の命を支えてくれる食物や野辺の草花、貴方を含め祖先累代に至る迄、命有るもの全てが佛で有り其の命を尊び敬うと謂う事です。
【帰依法】とは、即ち教えで有ります。要するに御釈迦樣の教えを含め貴方を善に導き成長させてくれる正しい教えを尊び敬う事と為ります。
御釈迦樣の教えは、御経として存在して居ますが御経は、単なる漢字の羅列では、無く今有る人への導きで有りますし解り易い代表は、【法句経】が有名で御座いますし又、法とは、規則も含まれます。
【帰依僧】とは、要するに貴方を導く存在で有り僧侶だけでは、有りませんよ…。
即ち貴方を導く存在は、数多に至り例えば友人で有り師で有り子で有り親、祖先自然その物も含まれ貴方に対して日々教えを説いて居ます。
要するに三帰戒とは、命、教え、師を敬い尊ぶ事を誓う事と成ります。
要するに此の三つの寳を大切にして後に授かる十三の戒を以て菩薩に至る為の修業を日々重ねる事を宣言、お誓い致す訳で始めにお話致した通り死後に戴くよりも生前に戴いた方が意味の有る事で御座います。
では、一般化して居ります葬儀の場合は、如何に捉えるかですが此の場合、葬儀式に於いて僧侶の得度同様に導師が死者に対して戒を授け引導を以て佛様の世界へと導く象と成ります。
此の場合は、謂わば生前に於いて授かる事の出来なかった戒を授け来世に再び佛縁が戴ける様願うもので決して無意味なものでも無く況してや金銭目的の為に戒名が存在して居る訳では、無い事をお話して本日の講釈を終えたいと思います。
天祥 九拝
執筆者:瑞鳳天祥
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