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信仰と謂う事

祈願:合掌
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読者投稿:瑞鳳天祥様

さて、本日は、信仰に付いてお話し致します。

信仰とは、信じて仰ぐと書きますが、聖天様の信仰も一生行う事と申しますが其の言葉を聞いて「一生の信仰は、難しい・・・。」と諦めたり漠然とした強迫観念に駆られる方がいらっしゃる様ですが・・・。

愚僧が思うのは、信仰とは、強制されるものでは、有りませんし伝える事は、有っても信仰しないから不幸に成るとかは、一切御座いません。

では、聖天信仰に於いて一生信仰する事が肝要かと申しますと聖天様の本願〔先ず其の願意を満たし心安穏にして仏道に入らしむ〕とされ願意成就の先にも更に道が存在する事を説いて居ります。

例えるならば願意成就は、登山の1合目の様なもので頂上には、及んで居りません故に一生を掛けて其の道を一緒に登りましょうとお誘い申し上げて居られるのです。

人は、それぞれに人生のペースが有りますから神仏は、其の人に合わせて進んで下さいます。

此を〔同時〕と申しますが此の考えは、どの宗派も一緒で例えるならば頂上は、一緒でも登山道が違うだけで根本は、一緒です。

お話しが逸れましたが逆に御質問致しますが皆様は、必ずと言って良い程、毎日食事をされ排泄も致しますね。

何故かと申せば根本には、生きる為ですし不可欠なものです。

信仰に於いても同様に生活のリズムの一部として考えると決して難しい事では、有りませんね・・・・。

では、信仰に於いて何のメリットが有るかと申しますと総合的に人生が豊かに成ります。

某CMでは、有りませんが「おてての皺と皺を合わせて幸せ・・・。」では、有りませんが聖天様並びに諸仏諸天、御祖先様に手を合わせてご挨拶、祈りを捧げる事は、功徳、回向と成り何れは、自身の幸せに繋がる事と成ります。

謂わば困る事が無くなります。

困るとは、木に囲いをして居りますから大変窮屈です。願意成就とは、信仰を通して其の囲いを除く事で一つの楽を得ます。

しかし囲いを除くとも其の木を育て実りを得るには、御世話をしないと美しい花や後の実りも享受出来ませんね

故に実りが欲しいならば欲しい分だけ御世話をしなさいと申して居るだけですから決して強制して居る訳では、有りませんし聖天様も強制は、望まれません。

故に信仰は、一生ものと言われる理由で御座いますし後々の事を考えると一生続けて其の御縁を離さ無ければ後の御縁も約束されるものでは、無いでしょうか・・・。

継続は、力成り、ローマは、一日にして成らずと言われる様にいきなり全てを行うのでは、無く出来る事から始め出来る事を一生の間に増やしていく事が肝要ですから決して焦らず心を込めて丁寧に生き、信仰を重ねる事が肝要で御座います。

天祥 九拝

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法話

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