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聖天様鎮座のいわれ-矢田聖天編

矢田聖天
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聖天様鎮座のいわれ

ホームページによると…

【創建】

大海人皇子おおあまのみこ(後の天武天皇)が、 壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登られ、即位後の白鳳4年、智通僧上に勅せられ、 七堂伽欄48カ所坊を造営されたのが矢田山・金剛山寺の開基と言われています。

大海人皇子おおあまのみことは

天武天皇は、天智天皇の弟。
第40代天皇。

天智天皇とともに、​改新政治を進めた人物で、天皇の死後、皇位をめぐって、天皇の子と対立し、壬申の乱がおこった。そして、壬申の乱で勝利し天皇となった。

矢田聖天の聖天様は

江戸時代中期の高僧、慈雲尊者(1718~1804)により、 宝暦年間に勧請されたと伝えられる聖天様がいらっしゃるそうです。
聖天の正面の額「歓喜天」の書は、慈雲尊者の筆だそうです。

慈雲尊者とは

慈雲は江戸時代後期の真言宗の僧侶。戒律を重視し「正法律」を提唱した。雲伝神道の開祖。

※「正法律」
お釈迦様が説かれ、伝えられてきた法と律のすべてを指す言葉。
奈良県

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