前回は心の三毒の『瞋』の「怒り」についてのお話でしたが、今回は『瞋』のなかの「憎しみ」についてのお話です。
貪:むさぼり・必要以上に求める心
瞋:怒り・憎しみ・妬みの心
痴:おろかさ・愚痴・無知
瞋は、怒り・憎しみ・妬みの心ですね。今回はその中でも『憎しむ』ことをやめましょう、というお話です。
どんな時に憎しみという感情が生まれて来るのでしょうか?
「憎い」という感情は、「いやな相手として、相手のことが気に入らない」とか、「相手のことが気に入らないので、相手に何か悪いことが起こればいいと思うほどに嫌っている」という感情です。
「憎い」という感情が芽生える
「憎い」と思うには必ずそこに対象となる相手が存在します。
そして、相手をなぜ「憎い」と思うのか。必ずそこには何らかの原因が存在します。
全くの初対面の方に対して『憎い』という感情が芽生えることはまずありません。
『憎い』という感情が芽生えるには前回お話した貪瞋痴の瞋の”怒り”が関係してきます。
「憎い」は「怒り」の進化系
怒りの感情というのは、本当に厄介な感情です。
しかも、自然と湧き上がる感情だといえます。
まずは、カッとくる「怒り」の感情をなるべく持たない人を目指したいものです。
と、口で言うことは簡単ですが、なかなか難しいと思います。だって、自然と湧き上がる感情なのですから。
しかし、感情に流され、そのままその「怒り」を表に出す、相手にぶつけることは、瞋の「怒り」に当てはまりますからやめましょう。
しかしながら「怒る」ことを一切せず、溜め込んでしまうと、間違いなくその「怒り」が、「憎しみ」に進化して、暇があると報復ばかりを考えてしまう…そんな状況は、聖天様の意に沿う生き方とは言えません。
でも、怒ってはいけない。
では、どうすればいいのか…
怒ってその状況を変えることが出来るのなら、その場は「怒る」必要があると言えます。
ただ、先程も言いましたが感情的に怒ることは瞋の「怒り」に当てはまりますから、してはいけません。
冷静に判断して、「怒り」をプラスのエネルギーに転じ、建設的に怒るのです。
この場合の「怒る」は、『その状況を、良き方向へ変える手段』と言い換えることが出来ると思います。
この場合、「怒る」=「その状況を、良き方向へ変える手段」を使ってその状況を変えることが出来たなら、スッキリしているはずですので、「怒り」が「憎しみ」に進化することは無いと思われます。
次に、怒っても何も変わらないとあなたが判断したなら、その「怒り」は、抑えて下さい。相手にぶつけてはいけません。封じ込めるのです。
しかし、そうやって「怒り」をどんどんと溜め込んでしまうと、やはり「怒り」は「憎しみ」や「恨み」といった、より強い感情へと進化していくので…本当にとても厄介な感情といえます。
怒れなかった、不完全燃焼の、抑制した「怒り」を「憎しみ」や「恨み」に進化させないように、上手にリセットする必要があります。
毎晩眠れないほどの「怒り」を抱えてもんもんとすることは精神衛生上もよくない状態です。
もちろんそんな状況は、聖天様の意に沿う生き方とは言えません。
これには、前回の「怒り」同様”人害消滅””悪縁切り”などのご祈祷が効果的です。
自分にとって良くない人間関係を断ち切る。リセットです。
自分で解決出来ないことは、聖天様に頼るべきです。
そして、スッキリとして自分のやりたいことにフォーカスする。これが一番です。
そんな前向きな生き方が聖天様の意に沿う生き方であり、願いが叶う、叶えて頂ける生き方であると言えます。
私達聖夫婦にも頼って下さい。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。