「親の死に目に会えなかった」その事に何か意味があるんでしょうか?というご質問をされたことがあります。
「親の死に目に会えない」
最近は、息を引き取る瞬間を看取れるかどうかという意味合いで使われていることも多いようですが違います。
とは、『子供が親より先に死んで親の死に目に会えない』ということです。子供が親より先に死ぬことが最大の親不孝だと言っているのです。
「夜爪を切ったら親の死に目に会えない」
昔、「夜爪を切ったら親の死に目に会えない」とか言われませんでしたか?
「夜爪を切ったら親の死に目に会えない」は、諸説あるようですが、
【「夜」「爪」】は【「世」「詰」】となり、世を詰める=早死=子供が親より先に死んで親の死に目に会えない、という意味合いから、「夜爪を切ったら親の死に目に会えない」に繋がった迷信です。
「夜爪を切ると怪我をするかもしれないからヤメなさい!」と言うより、効果があったのかもしれません。
照明や爪切り自体が今とは違い危険な道具だった頃のお話で、夜は危険だから爪を切らないようにするために使われてきた言葉のようです。
『死』はスピリチュアル的には
魂が肉体から離れるだけのこと。だったりします。
最後の瞬間に間に合うかどうかよりも
人間はいつか必ず死を迎えます。
必ずです。100%って凄いことだと思いませんか?
その最後の瞬間は、人それぞれです。
そして、「親の死に目に会えなかった」その事に何か意味があるんでしょうか?というご質問の答えは、
最後の時に立ち会えるかどうかにそれほど意味はありません、というのが答えです。大切なのは生きている間にどの様に接してきたかということのほうがよほど大切です。
最後を看取れるかどうかは、亡くなる方の考えだったりします。
最後を愛する人達に看取って欲しいと思う方なら、きっと最後を看取れるでしょうし、
最後は静かに1人で逝きたいと思う方なら、きっと1人で逝かれるのです。
最後を看取らせては、きっといつまでもメソメソして、立ち直れない、などと考える方なら、最後は看取れないでしょう。
ところで、皆さんが思う最後は、家族や友人など親しい人に見守られながら…というのが理想なのでしょうか?
もちろん、その様な方も実際多いです。
最後の一人を待つかのように、全員揃った時に静かに…ということも実際多いようです。きっと見守られて逝きたかったのでしょう。
又、ずっと看病してきたのに、ほんの一瞬目を離した、席を外した間に亡くなり…最後を看取れませんでした。と言うようなケースも実際多いようです。きっと、最後を見せたくない、見せては立ち直れないとか考えたのかもしれませんね。その方の優しさです。
そして、「ありがとうと、手を握り合い・・・」というドラマのようなシーンで最後を迎えたい。そう考える方も多いようです。
しかし、実際は、病院から電話を頂き、駆けつけた時には、ドラマとは違い、昏睡だったりして、すでに話せない状況だったりすることも多いようです。
ある方の実際の実話を少しお話します。(もちろん了承を得ております)
Aさんに病院から突然電話が入り、母が危篤と伝えられました。
Aさんが急いで病院に駆けつけると、
先生が「さっき状態が急変して一時期危なかったので来ていただいたのですが、今少し落ち着かれまして、今日か、2~3日か…延命はしないので、そう遠くはないのですが…とにかくこちらです」と先生に告げられ、促されるように病室に入りました。
母は昏睡状態で、話すことなど出来ず、でも一瞬目が開いたように見えました。そんな母の傍らに座り、頭は空白で何も考えられず、ただ、何もせずじっと顔を見て座っていました。
どのくらい時間が経ったのか、ふと頭をよぎったのは、自分は今何をしているのだろう。母が死ぬのを今か今かと待っているのだろうか?!という考えでした。
結局その日の夜母は亡くなりました。でも、2~3日母が頑張ったなら、ずっと病院には居られませんから、最後を看取れなかったかもしれません。と仰っておられました。
「ありがとうと、手を握り合い・・・」というシーンで最後を迎えられる方が羨ましい。、と仰っておられました。
話さない、目も開けない母にどうしていいか分からなかったそうです。
そして、後で、昏睡でも、もっと話しかければ良かったのかな、とか、
きちんと布団でくるまれていましたので、手を握らなかったのですが、手を握ってあげれば良かったのかも…とか
後で、色々考えてしまって、後悔しています、と仰っておられました。
ただ横に居ただけで、何もしなかった、出来なかったんです…と仰っておられました。
心の準備が出来ていなかったのです。それは仕方のないことです。お母様は、きっとAさんに会いたかったのでしょう。だから会えたのです。そして最後を看取って欲しかったのでしょう。それで十分です。後悔しているなら、その気持を、出来なかったことを、〇〇してあげたかった!とお母様に話して下さい。きっと側で聞いてくれています。そして、そんなこと気にしなくて大丈夫…ときっと言ってくれます、あなたには聞こえなくてもきっとそう言ってくれています。
ご両親はご健在ですか?
ご健在なら、是非、電話でもしてみて下さい。
今ならまだ十分に話が出来るのではないですか?
今ならありがとうと声をかけたら、返事が返ってきます。
元気な間に、話ができる間に、そんな間際になってではなく、普段から声をかけてあげて下さい。
そうしていても、亡くなると、もっと〇〇してあげればよかった、と思うものです。
すこしでも、もっと〇〇してあげればよかったを減らして、いざという時、後悔しないような生き方をして下さい。
そして、少しでも一緒にいられる様に聖天様に
「延命息災」:無事に長生きをすること。何事もなく長生きすることを願い祈る
「延年転寿」:ますます長生きすること。安楽に長命を保つこと。長寿を願い祈る
「無病息災」:病気がなく健康であること。達者、元気でいることを願い祈る
などをお願いしてはいかがでしょうか?病気になってからではなく普段からどうかお願いして下さい。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。