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聖天様鎮座のいわれ-生駒聖天編

いわれ-生駒
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「叶わない願いがない」と慕われる生駒聖天。
その聖天様は、開山の湛海律師(たんかいりつし)が自ら彫り上げた尊像です。
しかしその造立までには、思いがけない出来事がありました。
宝山寺に聖天様がお祀りされるまでのいわれをご紹介します。

湛海律師と聖天様

湛海律師は寛永6年(1629)、伊勢の生まれ。
正保3年(1646)に江戸の永代寺に入り、歓喜天に対する修法に優れていたと伝わります。
江戸の大火で焼失した永代寺八幡宮の復興にあたっては、その祈祷の効験を発揮されました。

その後、京都に歓喜院を建てて独立されますが、円忍律師の教えを受けて
真の仏法とは何かを求めることに目覚めます。
そして自身の行を完成させるにふさわしい山として、不動明王に「生駒山」を暗示され、
延宝6年(1678)10月10日、数人の弟子とともに生駒山へ入られました。

生駒山に入る前の「お約束」

宝山寺の公式サイトには、こう記されています。

湛海は聖天(大聖歓喜天)を山の鎮守に仰ぎ、益々の修行と理想の密厳浄土建設を目指した。

では、なぜ聖天様を山の鎮守に仰がれたのか。
湛海律師御自筆『霊感記』下巻に、その経緯が記されています。

律師は生駒山に移り住むにあたり、次のようなお約束を立てられました。

生駒山に移り住んで、安穏に修行することができれば、
まず第一に聖天様の像を作り、山の鎮守として崇め奉り、浴油供を修して供養もいたします。
ついては、私の願いを成就させて下さい。お願いいたします

このように願書にまで認(したた)めて、山に越してこられたのです。

尊像造立の費用がない

ところが、いざ山に入ってみると、尊像を造立するための費用がない。
そのような理由で、お約束は先延ばしになっていました。

ところが不思議なことが起こります。西国から、ある方が律師を訪ねてこられ、
こう申されたのです。

その昔、聖天さまにお願いをいたしました時に、
湛海さまにいろいろとお世話になりましたと、亡くなった主人が申しておりました。
つきましては三両ばかりではございますが、聖天さまのご宝前にお供え下さい

律師はこのお金で、聖天様の尊像を造立されました。

開眼供養の浴油供

さらに、開眼供養に修する浴油供についても、
八幡山の僧・泉之坊様が道具類をすべて整えてお送りくださったといいます。

こうして天和2年(1682)の冬、
聖天様のお像の開眼供養を修することができた、と『霊感記』には記されています。

湛海律師自らの手による聖天様

生駒宝山寺の聖天様は、湛海律師がご自身で造立された尊像が鎮座されています。

湛海律師は仏像彫刻や仏画像制作の基本知識・技術にも優れた方で、
本堂のご本尊・不動明王をはじめ、多くの作品を今に伝えておられます。
生駒聖天の聖天様は、祈る人であり、同時に造る人でもあった律師の、
その両方の力が込められた尊像なのです。

このいわれから見えてくること

注目したいのは、聖天様の尊像が三両という喜捨によって生まれたという点です。
しかもそれは、かつて聖天様に祈願した方が、律師への恩を忘れずに届けられたものでした。
祈りが人を通じて巡り、また次の祈りの場を生んだ——
生駒聖天のはじまりには、そうした御縁の連なりがあります。

また、律師が生駒に入る前から「浴油供を修して供養いたします」と
約束されていたことも見逃せません。
宝山寺で今も浴油祈祷が続けられているのは、
開山以来のお約束が三百年以上守られているということなのです。

参考

湛海律師御自筆『霊感記』下巻(寳山寺所蔵)/
宝山寺公式サイト/奈良県「宝山寺の歴史と中興開山 湛海律師」
※『霊感記』は奈良女子大学学術情報センターにより電子画像が公開されています。

今回のブログは以上です。

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合掌

奈良県

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