聖天様鎮座のいわれ
山崎聖天
山崎聖天はホームページを見つけることは出来ませんでした。
Wikipediaや山崎観光案内所や大山崎町商工会などなどから情報を集めました。
山崎聖天は、寺伝によると、平安中期に宇多法皇の御願寺として創建されたといわれているそうですが明らかではなく、延宝9年(1681年)摂津国勝尾寺の木食上人以空が夢のお告げにより中興開山し、聖天堂を興し歓喜天を祀った。とされています。
1681年は、江戸時代初期で、江戸幕府将軍は徳川綱吉の時代です。
摂津箕面勝尾寺の僧・木食上人以空が、この地にあった聖徳太子の作と伝えられる十一面千手観世音菩薩を本尊とし、鎮守に勝尾寺で供養されていた聖天様を祀り、開山したそうです。
ここの鎮守である聖天様は箕面の勝尾寺から雲に乗って飛んでこられたとの伝承があるのだとか。
霊元天皇、東山天皇、中御門天皇の厚い帰依を受け、商売繁盛家運隆昌を願う住友家、鴻池家、三井家などの信仰や、京都、堺など商人の参詣を得て大いに発展ししたそうです。
禁門の変で天王山一帯が焼き払われたとき、本尊の十一面観音千手菩薩像と歓喜天像はあらかじめ避難させたため、焼失を免れたんだそうです。
観喜天の霊験のほどを語るエピソードとして、寺の日記に伝えられているお話。(京都新聞社提供)
観喜天が黄金でできていると思い込んでいた泥棒がいた。やっとこさ盗み出したものの、山門で腰を抜かし、すぐつかまってしまった。
泥棒がつけたという刀傷の跡は、いまも観喜天の肩2ヵ所に残っている。んだとか…
観喜天が黄金でできていると思い込んでいた泥棒がいた。やっとこさ盗み出したものの、山門で腰を抜かし、すぐつかまってしまった。
泥棒がつけたという刀傷の跡は、いまも観喜天の肩2ヵ所に残っている。んだとか…
山崎聖天には、住友家より寄進された青銅製の灯篭があり、【タッチすれば商売繁盛】といわれるパワースポットと言われているそうです。
今回のブログは以上です。
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