聖天様鎮座のいわれ
妻沼聖天
妻沼聖天のホームページでは、
聖天山は平家物語、源平盛衰記や謡曲実盛、歌舞伎実盛物語などに、武勇に優れた義理人情に厚い人柄が称えられております、斎藤別当実盛公が当地の庄司として、ご本尊聖天さまを治承三年(1179)にお祀りしたのに創まります。次いで実盛公の次男斎藤六実長[宗光ともいう]が出家して阿請房良応となり建久八年(1197)に本坊の歓喜院を開創いたしました。
とあります。
妻沼聖天山の御本尊として祀られている聖天様は、1197年、斎藤別当実盛公の外甥、宮道国平と実盛公の 2人の孫により奉鋳寄進されたものであり、秘仏とされているということです。国指定重要文化財として、昭和25年8月29日に指定されています。
斎藤別当実盛公は、平安時代末期の武将です。源氏一門の内紛により、父親を亡くした幼い源義仲を憐れみ、木曽へ落ち延びさせました。が、数奇な因縁により20数年後、敵味方に別れて戦い討死します。その際、高齢者と侮られない為に、白髪を墨で染めたそうです。命の恩人を討ってしまった義仲は涙したと伝えられています。
松尾芭蕉が「おくのほそ道」の「小松」に現れる句に「 むざんやな 甲の下の きりぎりす 」とあります。
意に添わぬ戦いに出なければならなかった実盛は、なんといたわしいことだ。この兜の下のきりぎりす(今のこおろぎ)も、その悲しみを思い鳴いているようだというような意味です。
今回のブログは以上です。
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