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聖天様鎮座のいわれ-待乳山聖天編

いわれ-待乳山
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聖天様鎮座のいわれ

待乳山聖天

待乳山本龍院のホームページでは、

聖天様鎮座のいわれとして、
当山は推古天皇の御世、地中から忽然湧き出た霊山で、その時、金龍が天より降って山を廻り守護したと伝えられています。
それより6年後の夏、この地方が大旱魃だいかんばつに見舞われたとき、十一面観世音菩薩が悲愍の眼を開き、大聖歓喜天だいしょうかんぎてんの姿となってこの山に降臨されて、 苦しむ民を救いました。これが聖天様が当山に鎮座された起源であるといわれています。

とあります。

その後、文徳天皇天安元年(857)、天台宗中興の祖、慈覚大師円仁、東国巡行の折、当山に参籠して21日間の浴油の修行を行い国家鎮護の祈願され、さらに供養法にのっとり、赤栴檀しやくせんだんを用いて十一面観音菩薩の尊容を彫刻されたと伝えられています。
赤栴檀しやくせんだんとは香木。日本では白檀といわれる。白檀の赤みがかった心材のこと。

境内にある金龍山大聖歓喜廟碑きんりゅうざんだいしょうかんぎびょうひ、、聖天宮創設の事、天安元年(857)慈覚大師が逗留し十一面観音像彫り安置したこと、歓喜天の功徳のすばらしいことなどが彫られているということです。この石碑に文字を刻んだ人は廣瀬群鶴ひろせ ぐんかくという人です。

待乳山の聖天様については、ここまでです。もっと詳しく知っているよと言う方が居られれば教えて下さい!追記させていただきます!!

ちなみに、本殿内左脇に毘沙門堂がありますが、この毘沙門天様は、「浅草名所七福神」の内の毘沙門天で、御府内寺社備考によれば伝教大師作と伝わっているそうです。正月のみ御開帳されるそうですよ。

今回のブログは以上です。

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合掌

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