信仰は、うまず、たゆまず、一生涯続ける事が肝要である。お札は自宅に祀ってもよいが、御尊像は祀らぬ方がよい。
これは聖天信仰の心得十二条の中の其の二です。
うまず、たゆまず
先ず最初のポイントは「うまず、たゆまず、一生涯続けることが肝要である」です。
一生涯続けるという言葉は、誰もが理解できると思いますが、「うまず、たゆまず」という言葉と、「肝要」という言葉は、あまり日常生活では使わないと思います。
この「うまず、たゆまず」を漢字で書くと「倦まず弛まず」となります。
この漢字も日常生活で使うことは無いですよね!(笑)
この「うまず、たゆまず」とは、「飽きたり気を緩めたりしない」という意味です。
そして「肝要」とは、「最も重要であり大切だ」という意味です。
もう、お分かりですね。
この「信仰は、うまず、たゆまず、一生涯続けることが肝要である。」の意味は、「聖天信仰するならば、途中で飽きたり気を緩めたりせず、最期まで一生涯続けることが、最も重要で大切なことだ」という意味です。
どの神仏様への信仰も同じですが、特に聖天信仰する場合は重要で大切なことです。
お札と御尊像
次のポイントは「お札と御尊像」です。
聖天信仰されている人なら、誰もが承知のことと存じますが、一般の聖天信仰者様は聖天様(歓喜天)お札は祀っても、聖天様(歓喜天)御尊像は祀らぬ方が良いです。
稀にガネーシャ神様の置物など像を、聖天様(歓喜天)としてお祀りしたり、聖天様(歓喜天)のお札がある神棚にガネーシャ神様の置物など像を置かれている人がいるようですが、やめておいた方が無難であります。
自宅に聖天様(歓喜天)をお迎えしたい場合は、必ず祈願される寺院から、聖天様(歓喜天)のお札を授かり、お祀りして下さい。
合掌
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