聖夫婦
聖天様を信じています。この言葉は多くの人が言う言葉です。しかしその心中は大きく次の2つに分かれます。それは聖天様を「信じているのか」「信じようとしているのか」です。
聖天様に何かを願い叶えて貰うためには、聖天様の御利益を少しも疑わず信じ切ること絶対です。だからと言って信じることと信じようとすることは全く違うことに御座います。
聖天様を信じているなら良いのですが、聖天様を信じようとしているということは、聖天様を信じていないということです。そこで聖天様を信じているのか聖天様を信じようとしているのかを見極めるポイントは幾つか御座います。
例えば直ぐに「聖天様を信じています」と言う人。これ聖天様を信じているのではなく聖天様を信じようとしている場合が多いです。人間の意識として、聖天様を信じようとしているから「聖天様を信じています」という言葉が出るのです。本当に聖天様を信じている人は、わざわざ聖天様を信じていますなんて言いません。
その次に最も分かりやすいのが「不安の有無」です。願い叶うか否か不安を感じる人は未だ聖天様を信じていない証に存じます。不安というのは「叶わないかもしれない」「もし叶わなかったら」という意識から心に生じるものに御座います。本当に聖天様を信じている人は少しの疑いもなく「叶う」と思っているので、自然と不安が心に生じることは御座いません。
ただ、この不安というのは多くの人が感じることであります。それだけ聖天様を信じるということは難しいことなのかもしれません。つまり聖天様を信じようとすることは簡単であっても、聖天様を信じることは難しいのかもしれません。しかし聖天様を信じなくては聖天様から御利益を授かり難くなること確かです。
聖天様を信じる人は願いの結果を全て聖天様に預けることが出来ます。聖天様に何かを願う、その願いが叶うか否かの結果ばかりを気にする人には不安が生じやすいですが、願い叶うか否かの結果は全て聖天様にお任せするという聖天信仰の心得十二条にも書き記されていることが出来れば不安は生じなくなります。
聖天様に願い叶えて欲しいのならば、聖天様に願うこと意識しても、願いの結果は聖天様にお任せし意識しないことです。そうして聖天様を信じようとしている自分から、聖天様を信じている自分になった時、聖天様が願い叶えて下さると存じます。
今の自分は聖天様を信じているのか、それとも聖天様を信じようとしているのか、ここで自問自答し、もし信じようとしている自分であるならば、聖天様を信じている自分になって下さい。
合掌
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