聖天様は人を選ぶ神様です。聖天様から御縁を授かれぬ人間は聖天様を信仰することは出来ません。聖天様から御縁を授かり聖天様を信仰できることは誠に有り難い奇跡であります。
その奇跡で授かった聖天様との御縁を、今後どう育てていくか、今後どのような関係に育てていくかは人間次第であり、とても大切なことであります。
聖天様との関係は、大きく分けて2つ存在すると思います。皆様は何れの関係にあるのか、参考にして頂ければ幸いです。
聖天様と事務的な関係
聖天様とは事務的な関係であるという人は多いと存じます。聖天様から奇跡的に御縁を授かるも関係は事務的である、これある意味では普通であると存じます。
聖天様の作法に従い、学び、その作法に則り聖天様を信仰する。そこにあるのは願い叶えて欲しいということ。これは別に悪いことにあらず、普通のことに存じます。
しかし、事務的な関係で願い叶うか否か、人間関係に例えて考えてみましょう。あなたが何ら特別な感情の無い相手から、単なる事務的な関係である相手から、何かを頼まれたとして、それを必死に叶えてあげようと思いますか?思いませんよね。
あなたが会社の社長として、単なる取引先という事務的な関係の相手社長に対し、その人が喜ぶようなことを叶えてあげようと思いますか?思いませんよね。
もちろん事務的な関係で願い叶わないという意味では御座いません。単なる事務的な取引先である相手であったとしても、ただ自分の望みなどメリットだけを考えているとしても、あなたの為に何か動いてくれたら、あなたも相手の望み通り動いてあげようと動くかもしれません。しかしそれは事務的な結果であると言えます。
事務的な関係から得られるものは事務的な結果で御座います。
聖天様と相思相愛の関係
聖天様とは事務的な関係にあらず、相思相愛の関係である、という人もおられます。これ正しく聖天信仰の大きな特徴とも言えます。
これは私だけかもしれませんが、聖天様以外の神仏様を信仰するに、その神仏様のことを「好き」とか「大好き」とかいう人が居ても、まるで恋人のように家族のように「愛してる」という人は、あまり聞いたことが無いのですが、聖天様を信仰する人の中には結構おられます。
相思相愛とは互いに思い合い愛し合う関係を言いますが、聖天様との関係が事務的にあらず相思相愛にあるというのがベストな関係だと言えるのではないでしょうか。
つまり、事務的な関係の根本にあるのは、「願い叶えて欲しい」という、「欲望」だけですが、相思相愛な関係にあるのは、「願い叶えて欲しい」という欲望の他に、聖天様を愛するが故の「無償の愛」が加わります。
事務的な関係にあるのは「願い叶えて欲しい」という欲望のみの信仰ですが、そこに無償の愛が加われば「願い叶う叶わないに関係なく」という信仰になります。
あなたなら、事務的な関係にある会社の同僚と、相思相愛である恋人や家族と、どちらの願いを叶えてあげますか?また、どちらの願いを優先し叶えてあげますか?
もはや言うまでも無いですよね(笑)
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。