聖天様を信仰する聖天信者様の悩みは多くあれど、なかなか願い叶わないという悩みを抱える聖天信者様は多いと存じます。
なぜ願い叶わないのか?
それに関する答えが聖天信仰の心得十二条にあります。
お願いの叶わぬときは、未だその時期でないのか、誤った願い方をしていたか、または聖天様のお気持に反するような、お詣りの仕方をしていたからであるから、特に反省してみる必要がある。
ここに書かれております通り、まだ叶う時期じゃないのか、聖天様の意に反す間違った信仰をしているのか、ここを自問自答し間違いに気が付けば、反省改善することで願いは叶うと言えます。
この他にもヒントとなる教えが聖天信仰の心得十二条には御座います。
これら聖天信仰の心得十二条を何度も何度も読み返し、これまでの自分の信仰に照らし合わせ、自問自答すれば、間違いに気づいたり、次のヒントを得たりすると存じます。
聖天様から御縁を授かった選ばれし人間が、聖天様の意に適う信仰をしておれば、必ずや願い叶えて下さいます。
なかなか願い叶わない細かな理由は、人により異なりますが、それぞれが聖天信仰の心得十二条を正しく理解し、正しく意識し、正しく行動すれば、正しい結果が出ます。
この聖天信仰の心得十二条を理解したつもりでいる聖天信者様は多いですが、そう簡単に理解できるものでは御座いません。
一見は簡単そうに見える教えかもしれませんが、一度や二度で理解できる教えでは御座いません。
この聖天信仰の心得十二条にある教えは、何度も何度も一生涯読み返す必要があるほど、奥が深い有り難い教えなのです。
なかなか願い叶わないと悩む人の、なかなか願い叶わない理由は、この聖天信仰の心得十二条の中にあると存じます。
それでは最後になりますが、ここに改めて聖天信仰の心得十二条を書き記しますので、これを胸に刻み、これを肝に銘じ、願い叶えて下さい。
聖天信仰の心得十二条
一、本当の信仰とは、お聖天様にひたすらおすがりして、一切をあげておまかせすることである。
一、信仰は、うまず、たゆまず、一生涯続ける事が肝要である。お札は自宅に祀ってもよいが、御尊像は祀らぬ方がよい。
一、身も心も清めて、お詣りしなくてはいけない。また、忌服の時やご婦人の汚れの間は、直接のお詣りは遠慮するほうがよい。
一、お詣りは、ご利益を少しも疑わず、純真な心持で一心不乱にお祈りすること。
一、お願いの叶わぬときは、未だその時期でないのか、誤った願い方をしていたか、または聖天様のお気持に反するような、お詣りの仕方をしていたからであるから、特に反省してみる必要がある。
一、どんな無理なお願いをしてもよいし、その達成に努力精進することは言うまでもないが、あとの結果は聖天様の思召におまかせするがよい。
一、熱心に信仰するほかに、自分の力の足りない所は、御祈祷を頼んで行者に、その心願成就をお祈りしてもらう方が早い。
一、信者の熱心と行者の法力と聖天様の妙智力との、三力冥合の結果、心願が成就するのだから、御祈祷を頼んでおけばよいと安心していてお詣りを怠けていてはいけない。
一、心願が叶い、ご利益を頂けたら、聖天様へ感謝の念を忘れず、御加護を頂いた聖天様のお寺へはもちろん、広くは社会のため、少しでも奉仕の布施行を心がけないと、続いて御加護は頂けない。
一、いくら熱心でも、いつまでも「我欲」のみの信仰をしていては、聖天様の思召に添わないから、いつかは見離されて、大きなご利益は頂けない。よくよく心すべきである。
一、お願いには、浴油供か華水供の御祈祷をお願い、また成就の暁、感謝のお礼には大般若経の転読か百味の御供養を奉修してもらうがよい。勿論、浴油供でも差支えない。
一、世間では「聖天様は怖い神様」だとか、「子孫の七代までの福を一代にとる」とか色々に言いふらされているが、何の根拠もない、迷信的な伝説ゆえ少しも気にしない方がよい。
合掌
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