無料相談であった内容です。
あるところで「聖天様にお願いした祈願の内容と同じ願いを、他の神社仏閣で他の神仏に願うのは聖天様に失礼であり、願いが叶わなくなる」と言われたそうです。
先ず「失礼」か否かという点ですが、聖天様が「失礼な人間だ」と言われることは御座いません。
あくまでも、我々人間側から「聖天様に失礼か否か」という判断になります。
聖天信仰の心得十二条には「本当の信仰とは、お聖天様にひたすらおすがりして」という一文が記されてあります。
ここで重要なのは「ひたすら」という一文です。
ひたすらとは、一途という意味です。
つまり、聖天信仰の心得十二条には、お聖天様に一途に縋ることが本当の信仰だという教えがあるのです。
このことから考えれば、聖天様に祈願したことを、他の神仏様にも祈願する行為は、我々人間側からして失礼と言えるでしょう。
次に「願い叶わなくなる」とう点ですが、願い叶わなくなるというより「願い叶い難くなる」と表現した方が良いと思います。
人間社会でも同じですが、自分だけを頼って縋ってくる人と、自分以外にも頼って縋っている人と、どちらを救ってあげようと思いますか?
普通は自分だけを頼って縋ってくる人を救ってあげようと思うでしょう。
つまり、聖天様は「他にも祈願したな」と、怒ったりしませんが、聖天様だけを頼って縋る人間と、他の神仏様にも頼って縋る人間と、同じ祈願内容でも受け止め方が異なります。
これは聖天様に限らず、いかなる神仏様でも同じです。
例えば、不動明王様だけを頼って祈願する人間と、不動明王様以外の神仏様にも頼って祈願する人間と、どちらが叶いやすいかと言えば、不動明王様だけを頼って祈願する人間です。
巷では、聖天様だけ難しいように思う人も多いようですが、それは大きな間違いです。
聖天様に失礼になる行為は、他の神仏様に対しても失礼な行為になるのです。
どうしても叶えたい切実な願いであればあるほど、焦りと不安から多くの神仏様に祈願したい気持ちは理解しますが、本気で叶えてほしいなら、寺院の神仏様であれ、神社の神様であれ、ひたすら一途に縋ることが肝要です。
そもそも聖天様に祈願したこと、他の神仏様に祈願しても良いか否かという以前の問題として、聖天様は現世利益の最強神ですから、聖天様に祈願したことは、他の神仏様に祈願する「必要がない」のです。
そのあたりを理解して頂けたらと思います。
もし個別に相談など御座いましたら、気軽に無料相談ご利用下さい。
また、どんな願いでも叶えてくれる現世利益の最強神、聖天様に叶えて欲しい願いがある人は、聖天様に仕える聖夫婦の各種祈祷ご利用下さい。
皆様の願いが叶いますように祈念しております。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。
初めまして、上記拝見させて頂き少々気になりましたので送らせて頂きます。
自身はいつも宝山寺へお参りしております。都度 まずは聖天様へお参りしその後それぞれに参らせて頂いております。 もちろん聖天様へ全ての思いをお願いしていますが、十一面観音様、文殊様へは 娘の生育、学業等々 不動明王様へは家業の安全等々 他それぞれに願い事をしております。
上記参照させて頂きましたが お参りの仕方を 少々変更して行く方が宜しいでしょうか。
お伝えしたい事が説明不足かも知れませんが ご回答いただければ幸いです。
お世話になります。
聖天様を参ってから、他の神仏様に参ることは、とても良いことです。
また、他の神仏様に祈願すること、ブログにも書いた通り、特に必要は無いですが、悪いことでは御座いませんので、どうか安心して下さい。
合掌