皆様、願いの重さを意識したことありますか?
このブログを見て頂いている読者様にも、何らかの願い事があり、聖天様ほか神仏様に祈願していることに存じますが、その自分の願いの重さを、考えたことありますでしょうか。
あらためて考えれば理解して頂けると思いますが、如何なる願いにも、必ずや重さというものが、存在します。
また、その願いの重さは、自分が判断することにあらず、聖天様ほか神仏様が判断することに御座います。
どんな願いであれ、それを願う本人様にとっては、全てが重い願いだと存じますが、それが本当に思い願いなのかと言えば別問題です。
実は本人様が重い願いだと思っているだけで、聖天様ほか神仏様から見たら、軽い願いなのかもしれません。
聖天様ほか神仏様は、願う本人様の意識と行動を見て、その重さを判断されます。
願う本人様からすれば重い願いであろうとも、それが本当に重い願いなのか、実は軽い願いなのか、その真実たる答えは本人様の意識にあり、その意識によって行動に表れます。
つまり、軽い願いの意識である場合は軽い願いの行動となり、重い願いの意識である場合は重い願いの行動になるのです。
これまでにも口が酸っぱくなるほど申し上げて来ましたが、願い事に限らず、全てのことは意識から其れ相応の行動が生まれ、行動から其れ相応の結果が生まれるのです。
そして絶対的に言える結論として、結果は絶対に嘘を付きません。
あなたが自分の顕在意識で思う願いの重さと、あなたが自分の潜在意識で思う願いの重さは、必ずしも同じとは限らず、本来の願いの重さの分だけ、意識ある分だけ、正直に行動に出ます。
その行動こそが、願いの重さの、結果になるのです。
聖天様ほか神仏様は、その行動という結果を見ておられます。
願う本人の意識と行動による結果を見て、「なんだ、お前の願いは、その程度のものか。」となるか、「そうか、お前の願いは、そこまで重いのか。」となるのです。
これにより、聖天様ほか神仏様が、「なんだ、お前の願いは、その程度のものか。」という願いよりも、「そうか、お前の願いは、そこまで重いのか。」となる方の願いを叶えて下さること、もはや言うまでもないことに御座います。
さて、ここからが、願いの重さを、形で表す方法です。
願いの重さを表す方法は多くあれど、最も分かりやすく表れるのが『根気ある祈願の継続』に御座います。
例えば、聖天様ほか神仏様に、何かを願うにしても、『毎日継続して祈願する人』と、『一度だけ祈願して終わる人』とでは、毎日継続して祈願する人の願いの方が重いこと明らかであります。
また、参拝しない人よりも、参拝する人の願いの方が重いこと明らかであり、ご祈祷しない人よりも、ご祈祷する人の願いの方が重いこと明らかに御座います。
聖天様に願い叶えて欲しいのならば、絶対に叶えたい願いがあるならば、先ずは聖天様に毎日継続し願いを届けるなど、その願いの重さと言いますか、願う本人様の本気度を、聖天様に見て頂く必要があるかと存じます。
合掌
皆様からのコメントお待ちしております。