微妙(びみょう)という言葉は、
「 ”ビミョー”な色彩のバランス」
この場合は、趣深く、何ともいえない美しさや味わいがあというニュアンスで使われています。
「二人の関係は”ビミョー”な段階にある」
この場合は言い表せないほど複雑って感じです。
「アウトかセーフか”ビミョー”です…」
この場合は、きわどい感じで、どちらとも言えないというニュアンスが強いですよね。
微妙に曲がっている線
この場合は、ほんの少しとか、ややというニュアンスで使われています。
「あそこのレストランどうだった?」
「”ビミョー”..」
この場合は、イマイチだったというニュアンスが強いですよね。
「今度のバイト先いい感じ?」
「”ビミョー”」
この場合も、イマイチだったというニュアンスが強いですよね。
「テスト上手くいった?」
「”ビミョー”」
この場合は、どっちとも言えないが、少なくとも良くはなかったというニュアンスですよね。
のように使われるようですが、趣深いという良いニュアンスの使い方より、どちらかというとマイナス的なイメージの答えであったり、明言したくない答えであったり、判定がきわどくどちらとも言えない場合に使われたりする事が多いように思います。
仏教では「微妙」=「ミミョウ」
しかし、仏教で用いられる微妙は「びみょう」ではなく、「みみょう」と読み、言葉では言い尽くせない不思議で奥深い意味合いを表す語として用いられます。
無上甚深微妙法 [むじょうじんじん みみょうほう]
は「すばらしく、そして奥深い仏の教えには」という意味になります。
無上=「この上ない」
甚深=「甚だ深い」
微妙=「言葉では言い尽くせない不思議で奥深い」
甚深=「甚だ深い」
微妙=「言葉では言い尽くせない不思議で奥深い」
「無上で甚深にして微妙なる聖天様(歓喜天) 」との出会い…
”すばらしく、そして奥深い聖天様(歓喜天)とのご縁”を感謝しております。
合掌
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